2010年2月4日木曜日
変わること
インターネットは実に面白い。
いろいろさぐると、世界で報道されているニュースが、日本のテレビで言っている事と内容がかけ離れていたり、まったく正反対の事を言っていたり、又は、世界的な大事なニュースもまったくスルーされていたりすることがわかる。インターネットの情報がすべて正しいわけではない。むしろ多いに間違っているだろう。しかしその両者を引いて見ても、日本のテレビは何かおかしい。
そういうことに対して、ネット上では大いに怒り、なじり、嫌みを言う。この世界を変えなければイケナイのだ。今こそチェンジなのだ!と。
そういうものを見るとだいたい二つに分かれる。
1:政治や世の中のシステムに対して戦う。デモを決行する。意見を言う。
2:やっても同じ穴のムジナ。反抗すればそれこそ、向こうの思うつぼ。だからなにもしない。
ここまでは今まで世の中に対して行うよくあるパターン。
んで、最近は、政治的な事と、スピリチュアルがくっついたアイディアもある。
3:この世はあなたの心の現れたもの、戦争が起こるのもあなたの心の中にあるものが現れているのだ。だからあなたが変われば世界は変わるのだ。
と、いうもの。
人を変えるのは難しい。
「君、左向け」といっても、人はそう簡単に左に向いてくれない。ところが「私、左向け」といえば、「はい」と素直に左に向いてくれるのだ。なんて簡単なのだ。自分さえ変わればいいのだ。自分が平和的になれば、世界は平和になるのだ。なんで今まで気がつかなかったのだ。ああ、そうだ。私が変わればいいんだ!バンザイ!これですべて解決だ!
と、よろこんでいる。そして日々、おだやか〜に、人にやさしく生きてみる。ところがいつまでたっても世の中は変わらない。だんだんイライラしてくる。「おかしいな。なんで世の中は変わらないんだ?おれがこんなに平和な気持ちになっているのに」と思い始め、そのうち性格が前と変わらなくなってくる。
というか、はじめっから何も変わっちゃいない。ただ、人にやさしいフリをしただけだ。フリなもんだから、いつまでも長続きしない。しまいにこうしなきゃああしなきゃと言う強迫観念になって来て、そうなれない自分にいらだち、自分が嫌いになり、落ち込んじゃって、そのうち「こうなったのも世の中のせいだ」と思い始める。んで、どこかで天変地異が起こればいいとか、こんな世の中なくなっちまえばいいとか思い、そのはけ口をネットではらす。
今の人々の心はこんな感じなのではないだろうか。
自分を変える?変えればいいだけの事だ?んなの、とっくに言われている事だ。それはずーーーーーーーーーーっと、何千年何万年も前からあらゆる教典にズーーーーッとそのための方法論を書き込まれて来たのだ。なのに何ーーーーんにも変わってないのだ。
自分が変わること。
そっからがいっちばん大変な事なのだ。私ら人類は、たった一人の自分さえも操れないのだ。一番厄介なもの「自分」をかかえこんでいるのだ。その問題を見ないで、世の中のシステムをいくら変えても、やがて同じ問題に突き当たる。それは未熟な人間が作り上げたシステムだからだ。出来上がったところから、大いに矛盾をはらんでいる。
インターネットで知らされる内容と、テレビの内容が違う事を見るにつけ、その大きなこの世の矛盾を「はっは〜ん、全然違う事言ってるじゃん」と冷静に見る事ができる。そういう意味でこの情報公開は面白い現実を人間に突きつけてくれる。あらゆる情報は正しくない。視点によって見え方は変わる。
だがそんなものなのだ。人間は主観で生きている。ジャーナリストが言う事が「正しい」はずはない。すべてはその人のその立場で視点でものを見るからだ。「正しい」とはなんだ?こっちから見れば正しく見えるものも、あっちから見れば正しくない。ということは、いくらこの世の矛盾をつこうが、システムの問題を追及しようが、人間自身が生きる事を解き放ってくれる環境は、外からは作れないと言う事なのだ。ゲームで脳のトレーニングをして活性化させようと、マシーンで電気ショックをあてようと、黒酢のサプリを飲もうと、健康茶を飲もうと、解放されないのだ。
自分が変われるただ一つの方法は、自分の内がわを見るということ。「なんだ、そんなこと」っていう?これがねー、すごいことなのだ。ちょー地味でありながら、ちょーおもしろい。それは誰に聴くでもなく、セミナーに通うことでもない。まったく超個人的な行動。外にはもう何も求められない。もう外を青い鳥を追いかけて、ぷらぷら旅に出ているばやいではないのだ。外に自分が探す鳥はいない。
自分が自分の声に耳を傾ける。自分が何をしゃべっているのか、何を見たとき、どう感じているのか、どう歩いているのか、どう人を見ているのか。自分というものを、これはいいとか悪いとか言う判断を下すのではなく、たんたんと観察する。
どうやらそこにすべての秘密があるようなのだ。
絵:「この列車がすごい!」メディアファクトリー新書表紙/好評発売中!
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4 件のコメント:
やら憲法9条の話かと思っちゃいました。
我々戦争しないって言っちゃってるか、戦争にんてならないもんねぇ!
って・・・。
そんなピンポイント的なこといってないっす。もー、深読みしちゃうんだからー、ぱぱさん。憲法9条の話なんて、わたしゃえらそーに意見できないっす。人それぞれ考えがあるんだろうし。
いくら外から押し付けられた法律だとしても、私はいい法律だと思っているけれども。
ところで、これなんて意味?
『我々戦争しないって言っちゃってるか、戦争にんてならないもんねぇ!』
しーません。m(__)m
『我々戦争しないって言っちゃってるか、戦争にんてならないもんねぇ!』
打ちたかったのはこんな感じ・・・
『我々は、戦争しないって言っちゃってるんだから、戦争になんかならないもんねぇ!』
多分飲みすぎか、睡眠不足だったんでせう・・・。
日本語って難しーねー。
ちょっと打ち足らんと、なにいってんだかさっぱりじゃー。
うん、そりゃそーだ。やらないって自ら言ってんだもんねえ。(じっさい、そうでありたいものだ)
だいたい戦争やるって言い出しっぺが、自ら先頭に立って出向くべきだな。が、言い出しっぺは、作戦本部と勝手に打ち立てちゃって「私は奥でブレーンに回る」とかナントカ言っちゃって、隠れるんだもん。関係ない下っ端ばかりが繰り出される。やりたくもない奴同士が。それておかしくない?
新しい憲法を作るとしたら、「言い出しっぺだけが戦争をやる」と言う法律にしよう。そしたらダーレも戦争しないかも。
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