2009年6月22日月曜日

私は看板がきらいだー




私は看板がきらいだ。
街をとおると、通り沿いに巨大でけばけばしい看板がずら〜っとならんでいる。最近は、どこの街に行っても同じ店の名前ばかりだ。そしてなにより気に入らないのは、みんな同じ色合いばかり!赤、黄、青、緑。この4つの色ばっかりで構成されている。この色たちがいかに自然とマッチしない色かわかる〜?高尾山をバックにあの色はないだろうってなものばかりだ。特にきらいなのは、緑。看板に使われている緑色のナンと不自然な事か。自然界にあんな色はない。モスグリーンか、黄緑色をしている。日本人の色彩における感覚は世界で群を抜いているはずなのに、なんでこう通り一遍等なの?

看板は誰よりもどこよりも目立たないと行けない(そう、思い込んでいるだけだと思うが)。でも結果、みんな同じ色を使うものだから、どれがどれだかわからなくなる(ざまーみろ)。
そのケバケバしい看板たちが、いかに街の風景をまったく味わいのないものにし、人の心までもかき乱しているのかわかっているのだろうか。いっぺん日本のまちの風景をよその国から来たガイジンさんの目線になって見てほしい。どんだけ街の景観を壊しているか。
私はそういう看板の色を見つけると、ぜーんぶ森の中にある色にぬりかえてしまいたい衝動に駆られる。自然の色を見ろー。4色じゃないぞ。1000色はあるぞ!

ああいう色ばかりを日常で目にしていると、人は色に対する考えかたが、単調になるんではないだろうかと心配する。現に最近のテレビアニメを見てもそう思う。数えるくらいの色しか使われていない。だが昔のアニメは違っていた。たまたま友達のうちで、私が子供のとき見ていた「ハクション大魔王」をみたとき、「あっ!」と思った。ものすごいたくさんの色で構成されていた。しかもまったくけばけばしくない。昔はすべて手作業で色付けをしていただろう。それはさぞや大変な時間と労力を使ったに違いない。だからこそ絵に心がはいっている。たくさんの色使いにもかかわらず、全体的にバランスの取れた奥深い色合いだった。特に紫色の使い方がうまかった。きっと身の回りにそんな色がいっぱいあったのだ。その頃はまだ着物も普通に着ていたのだろう。

子供の時は、特にいろんな色を見せるべきだと私は思うな。スポンジのようにありとあらゆるものを吸収する生き物なのだ。その時期にいっぱいすばらしい色を見せるべきだと。それをいまのプラスチックで出来た4つの色だけの看板を見続けると、どういう感覚になるか。マックが食べたいよ〜とおもうのは、きっとあの赤と黄色の色のコンビネーションを見て瞬間にヨダレが出るのだ。これはもうモロゾフの犬だ(違う、パブロフの犬だ)。


昔の看板は味わいがあったなあ。骨董品やで筆屋さんの看板を見つけた時は興奮した。長さ1メートルほどある、ぶっといもったりとしたリアルな筆の形をした木の看板だった。買いたくて買いたくてしょうがなかったが、お金がなくて断念した。看板ってそんなものじゃないかな。ぱっと見ただけで何やさんかわかる。自然や街の風景にとけ込んだいつまでも飽きないもの。その看板を見ただけで、ほっこりするもの。街の風景がその看板によって美しくなっていくもの。
今のそれは遠くから見て誰でもわかるものに集約されている。それはまさに今が車社会だからだ。ばーっとスピードを出して走っている最中に「あっ、マックがある。おとーちゃん、あそこに止めて!」と。
そこには、街の息吹きや通りの味わいなど微塵も必要とされない。通りすがりのタダのメシ屋だ。

もうそれも終わろうとしているのかもしれない。ファミリーレストランは今方向を転換させられつつある。アメリカ式のパターンは、やがて自然を愛する民族の中に飲み込まれ、シンプルに足で移動する時代に入るのではないだろうか。じっくりと街を作る時代に。


絵:ニューヨークのベーカリー

4 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

確かの日本の看板は、私も好きではありません。が、ががが、物量作戦で、かえって風情。ってのもありまして。それは香港なんですけど、あのほとんど原色、紅・緑・黄・藍の4色で光り輝く、瞬かないネオンサイン!まるで看板の山です。
実はあれが好きだったりします。「おお!帰ってきたぞぉ!」って感じ。
勿論、高尾には全く合いませんけれどもね。
あと、看板と色に関しては、某「そーか・・」とかいう宗教団体系のお店は、赤黄青の彩りの看板だとの、都市伝説もあります。世の中まさに、いろいろです。

つくし さんのコメント...

そうそう!香港!あそこまでやってくれるとあっぱれです。私も思わず絵にしたぐらいです。ワンチャイあたりを描きました。あれは大好きです。同じ看板でも風情がある。たぶん昔ののりのままだからではないかな。今の日本のは味気ない。きれいすぎちゃって。昔のはなんだかアナログで雰囲気あったよね。
わたしゃ、高尾の街の看板をぜーんぶ木で出来た看板にしたい。それだけで街の雰囲気変わるでしょ?

そーか...、なるほど。
って、そればっかりじゃないですかーーー!

リス さんのコメント...

日本は、他に類を見ない程、自由!な国らしいですね。看板の自由!どんな家を建てても、建ぺい率以外は自由!みたいな。
街並みなんて、そんなの関係ねぇですもんね。
高尾には、高尾らしい看板が似合う。素朴だったり、芸術的だったりね。つくしさん、がんばれ〜

つくし さんのコメント...

ホント。何でもアリのわりには、いい方向にはいかない。せっそうがない。お下品〜。

がんばれーってねえ...。わたしになにができるんスか。
党でも立ち上げて立候補でもするかー?
題して「高尾に看板取り戻せー!党」?

目立たない木の素朴な看板の方が、かえって目を引くよね。「あ、ここいいかんじ」って。

スーパーも木の看板にしちゃう?
「よろずやだいええ」とか?