2009年6月4日木曜日

親の呪縛




子供が最初に自分というものを意識させられるのは親からだ。その親から「あんたはホントにバカなんだから」といわれると、「ああ、わたしはバカなんだ」と思い込む。「おまえはなにをやっても三日坊主だ」といわれると「ああ、おれは三日坊主なのだ」と思い込む。「あんたは身体がヨワイんだから」と言われると、「ああ、私は身体がヨワイんだ」と思い込む。子供はスポンジのように無条件でいろんなものを吸い込む。
人って実はこうやって私はこういう人間なのだとレッテルを貼ったり、位置づけたり、特徴なのだと信じ込んだりするんじゃなかろうか。

それにふと気がついたのは、うちのダンナやその兄妹が、身体が丈夫な事からだ。
「ひょっとしてあなた、小さい時親に身体がヨワイって言われた?」と聞くと。「え?ぜんぜん言われなかった」という。「薄着していると風邪を引くからあったかくしなさいとか、バイ菌があるから手を洗いなさいとか言われなかった?」「ぜーんぜん」とそっけない。
そーいえば、寒がりのくせに、へんな所で薄着のままだったり、手なんかろくに洗いもしない。菌に関してはまったく無頓着。でも病気一つしない。頭使いすぎてへろへろになってよく寝るが。

逆に私は「あんたは身体がヨワイんだから」とか「バイ菌が移るでしょ!早く手を洗いなさい!早く!早く!」と強迫観念のように言われた。で、私は身体がヨワイ(と、思い込んでいる?)。

じつは母はもっと言われ続けた。母がまだ赤ちゃんの頃、道でお坊さんが母を見て「この子は3歳まで持たない」と言ったという。それからおばあちゃんは、母にずっとお灸をすえ続けた。ことあるごとに、あんたは身体がヨワイんだから、あんたは身体がヨワイんだからと言われ続ける。母はずっと病気がちだった。今73歳の母は、医者が太鼓判を押すほどに健康そのものだ。なのに私は身体がヨワイ、悪い、不健康だと今だに思い込んでいる。長年民間療法を学び、医者も驚く実際の年齢よりはるかに若い健康的な数値をはじき出す。なのに、ことあるごとに身体が重いしんどいとなげく。くじけると病院に出かけるが「どこも悪くないよ」と言われてトボトボ帰ってくる。
もうこうなってくると、単なる妄想の次元だ。身体は健康なのに、自分の母親から言われた『身体がヨワイ』の呪縛からまだ逃れられないのだ。73年間も!

母はその呪縛を私にも植え付けちまった。ちょっと具合が悪いことを言うと、早う治しなさい、早う!今電話を切ったらすぐショウガ汁を飲みなさい!けなげな私は母の言いつけを守って、一秒でも早くショウガ汁を飲む。
それもだんだんアホらしくなってきた。これって、母の呪縛じゃねえか。こちとら48年間も生きてきたんだ、それなりの自分の考えってえもんがあるんだ。もう5歳やそこらのガキじゃねえ!

と、まあダンナはそんなこと言われずに育ったから健康そのもの。私はその呪縛に引っかかった。でもそんなものかもしれない。親だってよかれと思って言ったのだ。

心の中にすくう強迫観念は、親の影響が相当ありそうだ。
私の自己嫌悪菌の原因は、親にちゃんとしろと言われた事と、もう一つ思い当たるふしがある。
「調子に乗るな」だ。

どうも私は相当なお調子者で、なんかあるたんびに、そこらで踊っていた。へらへらとチャカポコと、その場でたこのように身体をくねらせ踊っていたのだ。それは嬉しさの表現でもあったのだろうし、その場をとりつくろうワザ(?)でもあったのかもしれない。とにかく親はその行為を受け入れられなかったらしい。「ふざけるな」「やめなさい」そして「調子に乗るな」と言われた。で、スポンジの私は、嬉しい行為を表すのはイケナイ事なのだと思い込んだ。そうやってふざけそーになる自分を抑制し(ホントか?)生きること48年(しつこい)。
そろそろそんな親の呪縛から解放されようと思う。
調子こいてもいいじゃないか。踊っちゃってもいいじゃあないか。生きることは喜びなのだ。嬉しさを表現して何が悪い。

呪縛にかかるのは、親が悪いんじゃない。そういうもんだと思い込んだだけだ。でもそれはある程度まで生きて行くためには必要な法則だったに違いない(電車の中でとつぜん踊っちゃったりしたらあやしいもんね)。でも死ぬまで持って行く必要もない。母を見ていると、祖母の呪縛は今は窮屈にしか見えない。


解放するのは自分でしか出来ない。
わたしゃ、親がああしろと言った事をぜーんぶひっくりかえしてしまおう。これは第何回めの反抗期だ?たぶんこれが最初で最後の巨大な反抗期になるだろう。それは自分というものはこういう人間なのだと思い込んでしまった私から本当の「私」への出発なのだ。


絵:雑誌「HOUSE BEAUTIFUL」スポットイラストレーション『芝生のベッド』

4 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

まさしく!
子供がどう育つかは、100%親の責任。
(あ、いや・・・90%にしといてくれる?)
以前、娘のことで、学校の先生にぼやいたら、「でも、あなたが、そうやって育てたんでしょ?」と言われた。私は、うっ!とうなるばかりでした。
そりゃ、そうだ。勝手に子供がそうなったんじゃない。人間じゃなくても、犬が悪いことをしたなら、そうしつけた飼い主の責任だもんね。
子供(犬も)は、もともと親の喜ぶことをするようになってるんです。虐待しようが、過保護に育てようが。猫はちょっと違うような気もしますが、きっと基本は同じでしょう。(ところで、子供にとって一番辛いのは、虐待じゃなくて、むしろネグレクトすることだと思います。)

虐待されて育てられた子は、高い確率で虐待する親になるそうです。なぜなら、それ以外に育てる方法を知らないから・・・。私も、子供のときにああ言われてイヤだった。ってことを、子供に対してやっています。まぁ、多少は気にしてる分、少し減ってると信じてますけどね。悲しくて辛い連鎖です・・・。

つくし さんのコメント...

ああ、私も虐待する親として君臨する所だった。いなくてよかったわ〜。

でも親はしょうがないです。親だって人間なんだもん。どうしても子は親の方が年上だから、自分より人間的に優れているはずだ、いや自分よりすぐれていないといけないとおもいがちなんですが、当の本人に取っちゃ必死ですもんね。いろいろやっちゃいます。

でもそんな親を選んで生まれてきたのは、とうのご本人だと私は思ってます。で、そんな親のもとで育つのもよしとした。いろんな事情があるんでしょうけど。
私もこの親なら乗り越えられると思って生まれてきたんだと思う。この呪縛もその乗り越えるための授業じゃないかな〜とおもってますだ。

そうなげかないでよ。いいぱぱさんだよ。ほんとうに。

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

そこに逃げたら、良くないかも知れませんが、全ては運命ですね。

つくし さんのコメント...

そうね、すべては運命なのね。いい意味でも悪い意味でもなく。
ただそこに状況がある。人はその状況に感情を入れてしまうからわけがわからなくなる。いい事だとか悪い事だとか。そうすると川の両岸にぶつかるばかり。そんなときは、ただ淡々と受け取る。川のまん中を流れるように。
なんちゃってー。言うのは簡単だ。やるのはむずかしい。