2009年6月12日金曜日
すべては思い込み?
ある人が、催眠術にかけられた。
自分の娘が部屋からいなくなった、という設定だ。案の定、かけられた男は、部屋の中にいる自分の娘に気がつかない。目の前で娘がへらへら笑っていても気がつかない。そこまではいつものパターン。「あほやなあ。なんで見えないんや?」で笑って終わり。ところが実験はその先にあった。娘は時計の前に立った。術師が「今何時?」と聞いてみる。彼の目の前には娘が立っていて、時計の文字盤は見えない。ところが彼は時計がさす時間を正確に言い当てたのだ。つまり男の目の前には本当に娘はいなかった。だから、そのまま時計が見れたというわけだ。
いったい人の眼とはどういうものなのか。また物質とはいかなるものなのか。人は自分が感知したものしか見えないのか。又は感知しようとしたものしか見えないのか。だとしたら、私たちが今、催眠術にかかっていないと誰が言える?「いち、にい、さん!はいっ、おわり!」って、ポンッて手を叩かれた瞬間に、今まで見ていた世界がまるで違っていたら?
私たちは、物質として存在するものはすべて見ていると思っている。でも催眠術にかかっただけで、目のまえにいる物質である娘が見えないということが起こる。じゃあ、知らない間に催眠術にかけられていて、「あなたたちにはこれは見えませんよ」といわれていたらどうなる?そしてそれがとても大事なものを見ないようにさせられている可能性だってあるのだ。または、このように解釈しなさいよと教え込まれているものもあるかもしれない。
物質をどんどん細かく見て行ったら、原子にたどり着くらしい。人のからだを構成しているのも原子。原子は原子核と電子で成り立っている。原子核の周りを電子が猛スピードで回っている。その大きさの関係は原子核が野球のボールだとすると、その周りを回っている電子の周回軌道の大きさは、野球場ほどあるらしい(!)。原子における実体と空間の比率は、1対10万なんだと。つまりだ。肉体を構成している原子の99.9999%は、空間というわけだ。量子論でいくと、100%が空間なんだそうな。ということは、わしらが「物質」と感じているものは、単なる空間ということになるのさ〜。じゃ、なんで手で触ったり見えたりするんじゃ?電子はものすごい早さで回転しているわけだ。ほら扇風機が回っているときは、あたかもそこに丸いものがあるように見える。触ったら痛いし。でもひとたび止まると、単なる3枚の羽だけ。そのまわりは空間しかない。それと同じような原理らしい。
だからもともと物質とは見えない、または存在しないものかもしれないのだ。それをわしらが勝手に、ここに娘がいるぜと思い込んだり、ここには娘がいないぜと思い込んだりするってことか。
わしも小さい時、「地面が固いと思っているから立ってられるんだな。これが柔らかいなんて思っちゃったら、即、地面にのめり込んでしまうから、考えないようにしよう。」などと自分の思いをコントロールしたものだ。思えばあの時すでにその原理は知っていたとみえる。子供ってすごいなあ。
大人になると「そんなことない」「あり得ない」とふと浮かぶビックリするような考えをことごとく否定する癖をつけられてしまったが、今ごろになって科学があとを追っかけててくる。人間はすでに何かを知っているのだ。この催眠術の実験もそれをまさに立証してくれるような話だった。その男が手を伸ばしたら、娘のからだを通り抜けて時計を触っていたかもしれない。
すべては「思い込み」なのかもしれない。物質があることも、この世がある事も。
絵:オリジナル
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5 件のコメント:
また、不思議なことを、、、
ところで、目で見るってことは、実は、目から、ぐっっと手が出て対象物を掴んでいるということらしい。だとしたら、目から出る手がまっすぐ伸びるとばかりも言えないわけで。娘を迂回して時計をみたのかも。。。なんて。
またリスさんも不思議なことを....。
目からぐっと手が出るんですか。んで、対象物をぐっとつかむと。ほほほほ、おもろーいっ!
迂回してね。うん。ありえるな。
(もう、なんでもありや)
あ、ところで蛍見ました。2匹しか見えんかった。
今年はちょっとやっぱり少ない?
蛍、まだ少ないですね。今日も雨ふっっちゃったし。
でも、例年、今くらいからみたいなので、もうちょっと期待しましょう。
蝶も小さいのはいるんだけど。夏には大きいのに会えますように!
会えますように!
あれ?じつはチョウチョも思い込みだったりして?いないいないと思っているから少ない。虫博士はそんなの気にもとめないから,多いも少ないも感じていない。少ないと思っている所には,あえてチョウチョも蛍も少なく飛んでいるんだったりしてね。いや,見えないだけなのかもしれんなあ。
いやあ,この世はおもろいなあ。
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