心の中を観ることをしていくと、どんどん自分の中をほりさげていくことになる。
前はおおざっぱな感情だけが見えていたのに、それを通過すると、より細かい感情に気づき、それも通過すると、ますます微細な感情にまで気がつくようになる。
ほんの一瞬の心の動きのはじまりまでもが感知される。
そのうち、自分が外ものに反応していることに気づきはじめた。
外に見える世界。
人の言葉、人の態度、
畑、庭、山、
外に見える世界に反応している自分。
ネットの文字に反応し、
テレビの映像に反応する自分。
そしてふいに浮かぶ思い、想念、イメージ。
あたまの中も、また外のものだ。
いわゆる「幸せ」も、外からやってくる。
食べて幸せ、聞いて幸せ、見て幸せ、
理解して幸せ、達成して幸せ。。。
だがそれは長くは続かない。
ネガティブな感情も、ポジティブな感情も、長くは続かない。
ネガティブな感情は、追いかければ長く続く。そして肥大化する。
ほっておけばそれはやがて消える。
どっちにしろ、外を見て受けとる反応は、やがて消える。
その仕組みにいささか疲れはじめた。
なぜこうも、反応しなければいけないのか。そこに本当のものはあるのか。
『反応の中に答えはない。。。』
心のどこかでそう聞こえた。
反応から来るものではないなにかがある。
それは外からはけして来ないもののようだ。
見ず、聞かず、外に反応をしない時間をもつ。
心の中の声さえ聞かない。
すーっとまっすぐ自分の中に降りて行く。
静けさがある。
静けさのむこうに何があるのだろうか。
わからない。
ただそこにいることが心地よい。
目の前に見えている世界が、『何の意味もない』
という言葉の意味が、
ちらちらと、わたしをくすぐる。
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