2018年11月4日日曜日

過去の清算




ダンナが、今過去の清算をしている。

阿佐ヶ谷時代からニューヨーク時代へ、そして今の高尾時代へと生きてきた片鱗を整理しはじめている。
人間生きていると、いろんなものが増えていく。表現するものは、表現したがゆえに、いや、アイデンティティを確立するために、表現物が増えていく。それにともない、道具もがんがんと増えた。

昔はカメラはフィルムが当り前。今はデジカメが当り前。時代はどんどん変化していく。無用の長物となったでかい引き延ばし機、現像にまつわるもろもろの機材や材料。ありとあらゆるものを、どんどん捨てはじめた。

音楽の機材もおしげもなく捨てていく。そしてずっと大事に持ってきた若い頃に影響を受けたこむずかしい本たちさえも。

彼の中に何かが起こっている。過去で埋め尽くされた心に、新たなものを入れていくスペースでも作ろうと言うのだろうか。

今はヤフオクや、メルカリなどのシステムがある。使わないものを誰かに渡してそれを生活の足しにするでもなく、気持ちいいぐらいばんばん捨てていく。それが彼らしい。

一方の私はと言えば、モノが捨てられない性格。
「ひょっとしたら、いつか使うかも。。。」
と、穴のあいた畑用の手袋、新聞紙、間違えてプリントした紙、お菓子のカンカンまでとっておく。(メルカリに出せるものなどひとつもない!)
「いつか資料になるかも。。。」
と、読みもしない本もずっと本棚に入ったまま場所を占領しつづける。へたに制作などしたら、どんどん作品という名のゴミまで増えて行くではないか!

強烈に整理下手な私の部屋は、いつもわけのわからんものが乱雑につみ上がっている。このまま行ったら、ここは私のせいでゴミ屋敷になるかもしれない。。。



ダンナが一枚のモノクロのベタ焼きを見せてくれた。
大量のベタ焼きを整理しているうちに、なつかしい写真が出てきたのだ。
まだ黒髪が光っている30前後の私が写っていた。自分で言うのもなんだがかわいい(笑)。
こうやって、過去の自分をみては、
「ああ、あのころは若かったなあ~」
なとど、しみじみとおもうのだ。
きっと今の白髪頭の私を写真にとっても、十年後には、
「ああ、あのころは若かったなあ~」
などと、きっとしみじみとおもうのだ。。。!

だがベタ焼きでうつっているあのころの私は、決して自分が今若いとは思っておらず、若さを謳歌するでもなく、もっと若かった自分を思い、今の自分をうれいて、苦悩していたのだ。

それってどうなの?なんか、損こいてね?
ずっとずっと、過去をうらやんで、今をうれいてばかりなのだ。
今を「こうではない」と言い続けて、未来にもっといいものを探そうとし続けているだけなのだ。

約30年前の私が、
「で?今はしあわせかい?」

と、聞いてきている気がした。


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