「きのうねえ。とーちゃんから電話があって、
『わしの金でふたりにおごっちゃれ』って、言われたんで」
「えー。あっちの世界から?
そりゃーかなり電話代高かったやろーなー」
そりゃーかなり電話代高かったやろーなー」
きのう父の葬儀に来れなかった従姉妹ふたりと「つくしのとーちゃんを偲ぶ会」を小さなイタリアンレストランでもよおした。
偶然にも東京の西の果てに住んでいる従姉妹三人。同い年のこの三人は、滅多にあうことはないが、父の死をだしにはじめて三人顔をあわせた。
父についてのかれらの思い出を聞くと、私だけの視点が、かれらの話を通してなにかがぱたぱたと組み立てられ、父が立体的になってくる。そんな時間が好きだ。
そのうち話は自然と父方の家について。
断片的にしかわからない父方の系図。みんな二十歳前後から高知を出て記憶が曖昧。小さい時のおぼろげな記憶を頼って、それぞれの立ち位置から見た視点を語り合う。
三人の中にどんどん父方の構図が現れはじめる。スリリングなリアルヒストリーチャンネル。自分の身体の中の血がそれを味わっているかのようにうねりはじめた。
屋敷に火をつけられた話、
屋敷の中に武具甲冑があった話、
曾祖父は日本中を回っていた山師だった話、
金持ちと貧乏を行ったり来たりした話、
父は祖父の名前をまわりに絶対に口に出来なかった話。。。
これだけでも荒々しい家系であったことは確かだ。
やがて三人がそれぞれ小さい時から父に殴られて育ったことが判明。荒々しい家系にありがちなしつけの仕方だ。みんながみんな同じ待遇にあっていたことを互いが知り、小さなレストランに大きな笑い声が響いた。
過去はそれをじっと見、受け入れ、解消しないかぎりいつも近くにある。
似たような体験がやって来ては、その過去を思いだし、そのつど激しい波に心を震わせる。
それを何度も何度も経験していくうちに、私はそれと面と向かい合わないかぎり、これは消えないと気がつく。
父のせいでこうなったのではない。
私は父の被害者ではない。
私が自分の問題として受け取っていくべき経験だったのだ。
私は意識的に、何度もその時の恐怖と怒りをリアルに再現し、それの中に沈殿した。
それを再体験し、心を味わい、からだに起こる反応に耳を傾け続けた。
ある時は何かを「理解」し、ある時はそれが消え去り、ある時は何も起こらない。それをすることによっての結果など期待できない。そのつど結果はちがっている。
その訓練の中で、じょじょに心の中の言葉が消えはじめた。
言い訳、言い逃れ、正当化する言葉たち。自分の中でいつも大騒ぎしていた言葉たちが、静かになりはじめる。
そしてあるとき過去が、ぷっつりと消えた。
時間は直線的にあるもんだと考えていた。後ろに過去が長ーく線上に存在し、目の前には、かすかに未来の線が続いている。そして今立っている所が現在。そう信じて来たが、今はちがう。
苦しみは過去にある。過去の出来事にしがみつくから苦しかった。
しかし過去はいつでも消える。あたまが過去を呼び戻してくるだけだ。過去の視点を通して今を見ているだけだ。それは本当の今を見てはない。
過去があるあると思い続けていたから、過去はあったのだ。だけどないないと思った所で、それはごまかしでしかない。それが脅威ではないと知るためには、それを見なければ何も変わらない。
三人が同じ境遇であったことを笑い飛ばせたのも、私の過去への思いが消えたからなのだろう。
私はいつのまにか父を赦していた。
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