ずっとずっと、誰かに言い訳してた。
これじゃないからね、私の実力はこんなもんじゃないからね。
次!そう、この次だよ!
この次に作る作品が最高!
だから待ってて、今、作るから!
だから待ってて、次、作るから!
だから待ってて、こんど作るから!
だから待ってて、いつか作るから!
これは、今私がもっているすべてを否定することになるんじゃないか?
過去のやって来たすべての作品を「あれはもう終わったこと。ゴミ。」と言わんばかりに。
「ごめんなさい!ごめんなさい!もうしません!もうしませんから許して~~!」
夜、家から放り出されて、雨戸も玄関も閉められ、裸足で家のまわりを走り回って許しを乞うていた幼い私を思いだす。
過去はごめんなさい。
未来にがんばるから許して。
過去の作品はごめんなさい。
未来にすごいのを作るから許して。
作品作りに過去の幼いときの記憶がだぶることにぞっとする。
こんな所にも無意識に過去の法則の中でしばられていた私。
今ここにないものを、次作ることによって許されると思い続けていた。
それはすでにもっているものをなきものにしてしまうまでの自己否定。
これが自我/思考の動きだ。
自我は今ここにあるものを否定する。
ここじゃないどこかに行こうとする。
これじゃない何かを常に求め続けている。
私の場合は、制作にその渇望が現れていた。一見その衝動は、建設的な動きのようにみえるが、その実、心の中はほとんど破壊的といってもいいほどに強いものだ。
これじゃない!それでもない!ちがう!ちがう!もっと!もっと!
自我によって、その衝動は止められない。
知識で知っていても、それを自分自身に応用するのはむずかしい。
それが自分に浸透するまでに時間もかかるようだ。
そしてあるときその自分自身の自我の構造/クセに気がついた。つねに「次の作品」ばかり意識がむいて、前のめりになっている自分に気がついた。そのとき何かが入って来た。
もう、私はすでにもっているじゃないか。
ここに。
どこにも行かなくていい。次の作品を探さなくていい。作らなくていい。
ただここにいるだけで、すべてはある。
ここにいることに満ちる。
私のバックに、私のまわりに、私の存在に、そのすべてが満ちている。
私はそれとともにいる。
ただ何もしないでいるだけで、そこにあふれている。
過去を嫌い、未来に恋してばかりいた私は、
今に恋をし始めている。
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