2017年12月10日日曜日

「わたしの」をとってみる


見えてみるもの、聞こえてくるもの、感触、匂い、味わい、
みんな、外にあるもの。
だから自分じゃない。

でもあたまの中で聞こえてくるもの、
こころの中で感じるいろんな感情、
かなしさ、うれしさ、いかり、いらいら、しっと、
そして考え。

それは自分の中から出て来るから、自分が感じた、
自分が考えたっておもってる。
じつはそれも自分じゃない。
だって、それも「観ている」からね。
観ているってことは、自分じゃないのさ。見えてるからね。


外側のものも、内側のものも、
みんなわたしのことじゃない。
じゃあ「わたし」はどこにいる?

どこ、なんて場所はない。
どこにもいないんかも(笑)。

ただ存在する感じだけがある。


わき上がってくる感情を、自分のものだと思うのをやめてみる。
「わたしのかなしみ」というところの、
「わたしの」をとってみよう。

痛みのあるカラダを、自分のものだと思わずに、
「わたしの痛み」といわず、
「わたしの」をとってみよう。

そこには、ただ「かなしみ」があり、「痛み」があるだけだ。

それを否定もせず、ただそれとともにいよう。


すべてのものは、現れてはやがて消えていく。





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