絶望と葛藤の中にいた。
なんでわたしがこんなことをしなけりゃいけないんだ!?
三十数年間の自分のキャリアがもたらすプライドが、現実と戦い合っている。
ふざけんなよ!
と、その場で投げ捨てることもできるかもしれない。
それをしないのは、勇気がないから?空気読まないといけないから?
だがそこでちゃぶ台をひっくり返すのは、その場でやって気持ちがいいだけのことをやろうとする幼い意識だ。
力づくは、その状況を覆す力がない。
物理的なものをこちらから変えようとしても、その場しのぎなだけで、また同じような状況がやってくる。
この私の中の何かが変わらないと、外の現象は変わらない。
心の中の自我は訴えまくっていた。
それをもう一人の私が聴いている。
もうやめてくれ。
たくさんだ。
イヤだ!こんな状況は耐えられない!
死んだ方がましだ!
たくさんだ。
イヤだ!こんな状況は耐えられない!
死んだ方がましだ!
「君は今、あばれているのだね。
いいよ。あばれても。」
そう、もう一人の私は言った。
心の中は荒れ狂った。
言いたい放題言いまくった。
ここで書けないようなことも言いまくった。
言いたい放題言いまくった。
ここで書けないようなことも言いまくった。
心はすさまじい嵐の中にいるのに、私の動きはいつもと変わらない動きをしていた。
不思議なことに、カラダは疲れなかった。
それは心の中の思いを、そのまま受けとめていたからだろうか。
人は心の中であふれてくる残酷な思いを、思ってはいけないと封じ込める。
悪いことを考えたら、悪い事が起こるというような、信念があるからだろう。
どっちにしろ、自分のことしか考えてない(笑)。
他人のために封じ込めているわけではないのだ。
他人のために封じ込めているわけではないのだ。
そういうもろもろの信念がある故に、人は自分の中からわき上がってくる感情を無意識におさえこむ。
出ようとするものをおさえこむのだから、それなりに力を使う。
いや。かなり力を使っている。
いや。かなり力を使っている。
もぐらたたきで、もぐら(感情)がひょっこり顔を出してくるのを、ぽんぽん叩いて封じ込めるが、そのうちいちいち叩くのが面倒になって、その全部を手でずっと押え続けているようなもんか?
私は私の中にある感情を正直にみはじめてから、いろんなことが起こっている。
生まれてからいろんな観念とともに生きて来た。それに気づきはじめると、玉ねぎの皮を剥くように、その観念がはがれはじめる。
と同時に、あらゆる感情に気づきはじめる。それは苦痛でもある。
こんなおもいまでもっていたのか!という、見たくない自分も見る事になる。
そして、自分とはこういう存在と思っていたものまでが、はがれ落ちはじめるからだ。
そして、自分とはこういう存在と思っていたものまでが、はがれ落ちはじめるからだ。
なじんだ性格、なじんだクセ、なじんだ感情、なじんだ考え。そんなものが崩れはじめると、元に戻ろうとする作用が働くらしい。それをホメオスタシスというらしい。
そういう苦痛の経過を受け取ってもらえる存在がいるのがありがたい。
どこに向かっているのか。
どこにも向かってないのか。
ただ思いだすだけなのか。
なにもわからない。
ただ、このまま進むのをうながされているのはわかる。
ただ、このまま進むのをうながされているのはわかる。
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