最近おもしろい本を読んでいる。
「あなたという習慣を断つ」というタイトル。
おもしろいではないか。
「私」というのは、習慣である、と言ってるのだ。
そしてその本は、その習慣を断つことができると。
やまんばは常々、自分ってなんだろう?とおもってきた。自分と定義つけている自分は、ほとんどが過去にしばられている。過去に起こった出来事、過去にやった事、過去に考えた事、過去に感じた事、すべてが記憶の中にある。その記憶を元に「私」を作っているのだ。
でもその「自分」の特徴を調べるうちに、あらゆる中にパターン的な考えを見出す。そのパターン的な考えが動機になってあらゆる行動の衝動が起こっている事にショックを受けた。
やまんばの考えのパターンは、罪悪感。
およそ自分でとる行動の動機のほとんどがこれだ。
人に迷惑をかけてはいけない。後ろ指さされるようなことはしてはいけない。などなど。
こうなったらどうしようという心配と恐怖にもとづいて、それを回避するような行動を開始する。
それは朝起きた瞬間からはじまる。なにかまちがったことをしていないか?と、目覚めた瞬間から、ものすごい早さで頭が回転し、問題点を探しはじめるのだ。
そのパターンを見つけはじめたとき、「わしは病気か?」とおもったほどだ。
いったんそのパターン(つまり、わたしにとっての罪悪感)を見つけると、芋づる式に、とんでもなく現れ出した。
私は完全にパターンの中にハマっていたのだ。
同じ考えを、同じように感じて、同じような行動をする、というパターンを何十年も続けていたのだ。
その本は、その辺りの事をものすごく細かくわかりやすく書いている。人がどんなふうに自分の習慣の中に没頭しているのか、これでもかというぐらい明確に説明してくれている。
そして、その自分のパターンに気がつきはじめると、そのパターンがだんだん落ちはじめるのだ。無意識に起こっていた行動が、意識化される事によって、明るみになり、解体がはじまる。
この解体作業がない限り、新しい自分を創造する事が出来ないという。
まさにそうおもう。
臭い匂いを、香水でごまかすようなもんだ。
いったん臭い匂いを消さない限り、香水は生きては来ない。
これが引き寄せの法則がうまくいかない原因なんだろう。
ぐちゃぐちゃに描かれた絵の上に、いくらキレイな絵を上書きしても、下の絵が透けて見えるのと同じ。
ポジティブシンキングしたところで、巨大なネガティブの土台の上には、つゆと消える。
いったん、自分をゼロに戻すと言うか、リセットし直してから、新たな自分を作り出していくのだ。
サナギからチョウになるとき、サナギの中は、ただの液体しかないと言う。
そういうことに似ていないだろうか。
サナギからチョウになるとき、サナギの中は、ただの液体しかないと言う。
そういうことに似ていないだろうか。
小さいときにつくられた自分は、いわば親や環境によって、他力的に受け身的につくられてきた「私」だ。
それをリセットし直し、新たにつくられる自分は、自分でつくる自分なのだ。
そんな自分が新たにつくられるとしたら、そして好きなように設定できるとしたらなんておもしろいんだろう。
絵:「神話」/オリジナル切り絵/まるっとつくし展より
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