2013年3月11日月曜日

スギ花粉ちゃん、ワイルドだぜエ〜



いんやー、今年の花粉はきついぜよ。
きのうも砂嵐のごとく山中にふりまかれる黄色い粉に絶句するやまんばであった。

石けんなし生活で、いっきにあの「花粉症地獄」から切り抜けた!とおもったが、この目のかゆさはどーいたことぜよ。
今年の量は今までで一番ダントツ多い。すごすぎる。
いやー、やるなあ、スギちゃん。ワイルドだぜエ~。

さて、感心してる場合ではない。やまんばは考えた。なんでこーなるの?
確かに石けんなし生活で、花粉症の一部はクリアした。それは喉である。もし石けんを使った生活をまだしていたら、今年はさらなる地獄にはまり込んでいたことだろう。

どんだけ鼻つまって、どんだけ鼻汁出まくって、花粉たっぷりの粘液が喉の皮膚を削りながら(?)流れようと、喉の痛手はあの石けんあり生活の頃の比ではない。鼻つまって大口あけて寝てようと、カラカラに乾いた喉は、あの頃のひどいかゆさではない。これは断言出来る。
だが目のかゆさは石けんなしではカンケーナイのか。あらゆる皮膚は強くなったが、スギちゃんのワイルドさには、まだやまんばの皮膚はカナワナイのか。


そこでやまんばはこの考えを一気に別のジゲンにもっていく。
こんだけすごい花粉に、じぇんじぇん反応しない奴らがいる。
「花粉?なんじゃそれ?」
ってなもんで、同じ環境にいながら、まったくかんじないやつ。この差は一体なんなのだ?
奴らはちっとも気にしていないのだ。だが、やまんばは花粉を気にしている。気にするやつと気にしないやつがいる。これはなに?

花粉症になる人は、だいたい過去に何かしらのアレルギーをもった経験をしていたりする。やまんばも子供の頃ひどい皮膚のトラブルに悩まされていた。だからある日テレビで「花粉症」という言葉を聞いたときから、反応が始まってしまった。つまり、忘れていた頃の「あのつらい記憶」がよみがえってしまったのだ。
だから春になってカラダがもぞもぞしだすと、「あ、、、きおった。。。」とカラダの反応に気を取られてしまうのだ。

ここだ。
やまんばは、春になると、つねに「花粉に気を取られている」のだ。
気を取られている?日本語って面白い。
気をとられるとは、「気」を花粉に「取られる」のだ。まさに。気というエネルギーはそれにつねに取られ続ける。

考えたら、ずーっと意識してないか?
寝てる時も起きているときも、つねに花粉やからだの状態に気を取られていないか?
忘れているのは、朝忙しくてバタバタしているときや、上司に怒られている瞬間などで、それが過ぎ去って、心がひまぶっこきゃ「あ~、目が。。。」と、意識はそこに吸い寄せられている。
忙しそうに見えても、ある程度同じパターンの中で動いているとするなら、心はひまぶっこきだすのだ。すると今一番マイブームな花粉症へと向かう。こうやって、ひたすら気を取られる。ほんで仕事のポカやっちゃったりする。

後半につづく。。。

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

最近聞いた花粉症対策。私には若干の効果あり。
それは左薬指の爪の根元の左側(分かるかな?爪をDとして、Dの左上の皮膚のとこ)を右手の爪で刺激する。少し痛いくらいに!!そうすると、あ~~~ら不思議、多少症状が緩む。どうやらここツボみたい。

つくし さんのコメント...

おお、なるほど。ツボという手があった。
ありがとう。やってみる〜。