2013年3月23日土曜日

花粉のでないスギちゃんは偉大なるニンゲンさまのお知恵



ここにきてやまんばの花粉症もほぼなくなった。
やっぱ、あの砂嵐のような絶頂期がピークだったようだ。
しかし杉の花粉に反応するやまんばのカラダはなんじゃ?
元々自然界にある物質だぞ。


進化進化と言うが、はたして人間は進化しているのだろうか。
こんなに文明が進んでも、一個のちっこい花粉にピーピー文句を言う。

すると、いやいや、多過ぎるのだ。
それが人のからだを蝕むのじゃ。
いやいや、そもそもそんなに杉が多く植わっているのがおかしいのじゃ。
じゃあ、切ればいい。
いやいや、切るったって、そこいらの雑草を引き抜くようにはいかん。スギの木一本切るだけでも大変な作業なのじゃ。
じゃあ、スギの花粉が出なくなる杉を植えればいいのじゃ。
エー、じゃあそれが育つまで待たないといけないわけ?
じゃあ、防虫剤(だったっけ?)をかけて花粉が出来る枝を殺すのだ。
なあんて、ニュースは言ってる。

これって進化?
目の前にある問題をその場しのぎで対処しようとしているだけじゃん。
そんなこと、この日本国中のありとあらゆるところに植えまくった杉山に出来るのか?そんなことしたら、また生態系が~~!という別の問題が浮上するのは目に見えてあきらかじゃん。

こんなこと、ちょいと昔のニンゲンはいわなかった気がする。少なくとも30年前は、こんな発想は持たなかったはずだ。山師の人に「ふんっ」て鼻で一笑されて終わるような発想だもの。ところが最近はそれを大真面目でやろうとする大人たちがいる。

これを進化と呼ぶのだろうか。
花粉が出ないスギをつくれることが「ニンゲンの進化」なのか?
進化しなきゃいけないのは、自然界でもニンゲンのカラダでもなく、ニンゲンの意識なんじゃなかろうか。

やまんばは、このカラダはコンセントのないスーパーコンピューターのような気がする。自然界はとてつもなくパーフェクトで、ニンゲンさまのお知恵で組み替える必要も、いじくる必要も、ナーンにもないように見える。
いじくる必要があるのは、そのニンゲンさまのお知恵そのものなんじゃないかと。

このスーパーコンピューターのカラダを、まだわしら地球人はうまく使えてないだけなのだ。このすごい自然界をあたえられても、へんちくりんにいじくってるだけで、うまく使えてないだけなのだ。

わしらの意識はまだ原始人なんじゃないのか。
ものすごいお道具があたえられてるんだけど、そのすごさがちいとも分らず、赤子のように口に入れて味わったかと思うと、全部ぶっ壊して安心する、みたいな。

やまんばは自然界の花粉をコワがっている。
その意識のレベル自体が、なんだか子供が夜トイレにいけないのと似たようなレベルなのかもしれん。。。とおもう。
でへ。

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

確かに変な対応ですよね。変なっていうか、乱暴な・・・。
なんか甲州街道のイチョウ並木も、銀杏が落ちてくさいから、全部メスのイチョウに植え替える。って計画をどこかで読んだ気がします・・。これもどうかと思いますがね・・・。

つくし さんのコメント...

おお、甲州街道のイチョウにもそんなふうなグッドアイディアが出ていたんですか。
これもニンゲンさまの偉大なるお知恵なのだなあ。
銀杏臭いって最初っから分ってることなのに、実に不思議なお知恵だなあ。