2012年11月6日火曜日

どっちでもいーのかも



なんかね、最近思うのだ(そればっかりじゃねえか)。
世の中、正しいことと、いけないことのオンパレードなんじゃないかって。

「善悪の彼岸に立て」ってことばがあるけど、まさに世の中、人々の心、ルール、ぜえ~~んぶに善と悪がベースになっているような気がしてきたのだ。

いやいや。世の中はつねに犯罪が起こるのだ。それを善によって取り締まらないでいたら、世の中地獄になってしまうではないか。だからそれを取り締まるルールが必要なのだ!といわれるにきまってんだけど。わかってるよそんなこと。

だけどさ、それが人の心の中にまで深く浸透してしまっているわけさ。
これは正しく、これはまちがっているという判断基準。
成績が上の方にいるのが「正しく」下の方にいるのが「まちがっている」。
身体能力はきびきびした方が「正しく」のろまだと「まちがっている」。
病気は「まちがっている」ことで、健康は「正しい」。
だから「まちがっている」ことを実感したら、あわてて「正しく」しようとするわけさ。

もう無意識の奥の奥の方まで浸透しちゃっているから、あえて「うん。これは正しいのだ」という意識しないうちに瞬時に判断して、あわてて正そうとする。
そんなまわりの価値観だから、子供だって成績の悪いやつやのろまなやつを「まちがっている」と判断しちゃって、イライラしたり、のけものにしたりするわけさ。彼らの中にもすでに善悪の判断が入っている。
やまんばものろまでできがわるかったから、そりゃーみんなにののしられて、リンチされた。そんな自分は「まちがっている」とおもっていた。だけどどーしよーもなく、のろまだったから、ひたすら「まちがった存在」だと思い続けていたよ。


だけどさ、それによって人はずーっと苦しみ続けるんだよな。そのこれは正しく、それはまちがっている、という基準を自分の中に持っている限り。たわいもないことでさえも「ああしなきゃいけない」「こうしないといけない」と自身の心の中で戦っている。
国と国との戦争も、それぞれが言い分があって、どっちも自国が正しいと信じているではないか。結果的にそれを力で押し合ってどっちが「正しい」か決めている。
なんてあほらしい手段を使っているのだ。

そこには「領土は広い方がいい」とか「わしらの宗教の方が正しい」とか「お金はいっぱいある方が正しい」いう、やっぱりただしいとまちがっているの判断をしてるじゃないか。
世の中に犯罪が起こるのも「貧乏はまちがっている」という判断から起こしていたり、「あいつがまちがっているから」という判断だったりする。やっぱりそこに善悪がある。

善悪の彼岸に立つのは、むずかしいかもしんない。だけどよお、善悪を持っているとそれにひたすら縛られ続けるんだな。善悪を持つことはいいことかもしんない。だけどまた別の面を知ることもだいじだと思うんだな。

イブが善悪の木の実を食っちまったから、エデンの園を追っ払われちゃったけど、ほんとは神様が追っ払ったんじゃなくて、その場所が天国ではなく、地獄に変わった瞬間だったんじゃねえか?
善と悪の基準が作られた結果、それを克服しないといけないとなって、それに費やすエネルギーのなんと膨大なことか。働き詰めでお金をかせいで、それでもできないやつと思われる。。そんな善悪の基準によってここは地獄になっていったんではないのか?

ところがこれが正しい、これがまちがってるって判断がなくなっちゃうと、とても気が楽になれるじゃないの。なんか縛られる心理的なものがなくなって自由になれる気がしない?それが「天国」って意味だったんじゃないかなあ~なあんて。ひょっとして自分で天国と地獄を作っているだけなんじゃないかって。

最近、自分の中にある善悪をちょこちょこ発見する。おお、こんな所にも善悪の基準を持ってるじゃねえか!なんて。そんな所にエネルギー使ってんだなんて。自分でびっくりする。
するとこうおもってみる。
「それはひょっとして、どっちでもいーのかもしれん」

絵:MF新書『セクシイ仏教2』出た!第二弾!仏教も言っているではないか。善悪の彼岸。だったっけ?

2 件のコメント:

kkkero さんのコメント...

久しぶりー!

同感!善悪の二元論できた瞬間、天国と地獄と地獄も誕生したか!?

人の価値判断で自分を裁いていることに気付くときがあるわ。これを無意識にやるのは不幸の極致。例えば「お金が稼げないのは負け犬だ」とか。気付こう、やめよう!

つくし さんのコメント...

おー、ひさしぶりー!

みんなが自分をさばくことをやめたら、この世は幸せになるのにねえ。