石けんなしでも生きていけるし、肥料なしでも野菜は育つ。
けどこれ量子力学的にいうと、「観察されるものは観察するものに影響を受ける」んであって、「石けんなしでもだいじょーぶ」とおもっているから、そうなっただけで、ほんでもって、「肥料なしでもだいじょーぶ」っておもっているから、そうなっただけなんかもしれん。
ということは、「せっけんなくっちゃいけないわ」とおもっているから、石けんがないと生きていけないし、「肥料がなくっちゃ、野菜は育たねえ」と思っているからそうなっただけなんかもしれん。
ふは。どっちでもいーんかもしれん。
それはどっちがどっち正しいもまちがっているもなく、信じたものが現れて、そんでもってそれを「見る」から「うん。やっぱしそーだ!」と確信するだけなんじゃないか。
この世は証明されたものでみちあふれているけど、その証明だって「見る」から証明されたってことだ。
その前に、あることを証明したがっている人がいて、そのあること(仮説)を元にするからそうなるだけだったりして。
だけどその仮説どおりにならなくて悪戦苦闘するのだって、実はその人が「そう簡単には仮説どおりになるはずがない。苦労して結果を導きだすのだ」と思っているから、悪戦苦闘する。その結果、自分が信じたものを「見つける」だけなんかもしれん。
だったら世の中に出回っているひょっとしたらチョー曖昧な「証明されたもの」は疑ってもいーのかもしれん。
モノだけじゃないぞ。生き方だって疑ってもいーのかもしれん。
お金を稼ぐには苦労しなければいけないというのも疑っていーのかもしれん。
苦労しなければ欲しいものは手に入らないと思っているから、苦労して苦労して苦労して手に入れるのかもしれん。考えて考えて考えたら、すんばらしーアイディアが浮かぶ。と思っているから、考えて考えて考えまくっているのかもしれん。
うちのかあちゃんは、背骨が木っ端みじんになっても、「あ、そのバラバラになった骨はからだの中にあるじゃん。だったら集めりゃいいのよね」とおもったから、あつまった。
そんな神わざ的なことやる一方で、「あたしは歩けない」と思っているから、歩けない。からだはどこも悪くないのに歩けない。それは若いとき「あんた、歩くの遅いわねえ」と言われてからだ。それからそれを認め確信し、勝手に自分の中でバージョンアップさせていき、「歩くの遅い」から「歩けない」へと彼女の信念を進化(?)させたのだ。
信じているものが現れる。
あなたは何を信じてる?
絵:「ダイヤモンドは超音速で地底を移動する」MF新書表紙イラスト
きゃー!こーふんする〜〜〜っ。おもろい本です!
2 件のコメント:
大した運は無いけど、悪運は強いと思ってる!
だから生きてる・・。
←錯覚・・・かも(笑)
それそれ。それ大事。
しょせんこの世は幻。
錯覚したもん勝ち!
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