2012年11月14日水曜日

傷つく


傷つくことのほとんどは、心じゃないだろうか。

ある人の心ない言葉で傷つく。プライドが傷つく。など、ほとんどが心で受け取って傷ついている。そして怒りはそれによってひきおこされる。

およそ日常的なことで「からだ」が他人から傷つけられることは、ほとんどないんじゃないだろうか。だがそのからだを傷つけられることにさえも、けっきょく心が傷ついていく。


あの人がこう言ったと、心の中で繰り返すと、たいていは「あんな言い方ないだろう」なんてだんだん腹が立つものだ。怒りや悲しみは、また心によって増幅させていく。

だけどその傷つけるような言葉を発した人は、わざわざ「この人を傷つけてやろう」と思っていったのだろうか。

ちがうとおもうんだな。
きっとその人は自分を守るためにそういっただけなんだ。彼なりの正しさの中でいわれた言葉なんだ。ひょっとしたら、あなたがその前に何かをいい、それに彼がぴくっと反応して、自分の正当化のためにいった言葉なのかもしれない。で、あなたはまたそれにぴくんと反応していい返す。でもその言葉だって、自分の正当化、自分は正しいと信じていることをいっただけなのだ。

と、いうことは、お互いがお互いの「正しい」ことを話しているだけなのだ。
おかしいじゃないか。お互いが正しいと思っていることを話しているだけで、相手を傷つけようと思って話しているわけではない。だけどお互いがお互いの言葉で互いに傷つき合っているのだ。

誰も相手を傷つけようとしていうんじゃない。ただ自分を守るためにいっただけなのだ。
ただそれだけなのだ。
向こうは向こうの正しさがあり、こっちにはこっちの正しさがある。
ただそれだけなのだ。だれもまちがっちゃいない。だれもまちがっちゃいない。

だから誰も非難しなくていいのだ。そして自分も非難しなくていいのだ。
そして誰も傷つく必要も意味もないのだ。



傷ついてその事をアレコレ考えるとどうなるか、注目してみよう。
傷ついた事にとらわれて、エネルギーがどんどん減っていくのを感じないか。気がかりなことに心が集中してからだが消耗するのを感じないか。一瞬の怒りは大きなエネルギーを生み出すが、その後えんえんと続ける怒りは反転して消耗へと導いてしまう。自分が持っているエネルギーを、どんどん消耗していってしまうのだ。大事なエネルギーを誰かのことを悶々と考えるほどに、どんどんそこに力を費やして減らしていってしまうのだ。そして考えれば考えるだけ、傷ついた心は大きくなるだけで決して消えない。
そうこうするうちに、日々の生活に追われてそのことを忘れるのかもしれない。だけどまた似たような場面にであった時、記憶はその傷ついた感情を呼び起こし、また同じように傷つき始める。

そういう思考の構造を知ろう。エネルギーの変化に一瞬でも気がつけば、きっと同じところでいられなくなる。同じように傷ついて、同じようにエネルギーの消耗を続けられなくなる。

エネルギーは外へ流出するためにあるんではない。この世を楽しむために使うもんなのだ。


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