2010年6月22日火曜日
結果ってどこ?
私たちは「結果」を求めるが、そもそも結果って、どこらへんのことをいうんだろ?
昨日野菜のタネをとっていた。大根が育って大根を収穫したことを「結果」と言うとしたら、その大根のタネをとるも結果じゃないのか?ほんでもって大根をそのまま放置して花を咲かせることも結果じゃないのか?ひょっとしたら、その大根がタネをつけ、ぽろっと地面に落ちてまた芽を吹き出したら、やっぱりそれも結果じゃないのだろうか。
結果と原因はいつもくっついている(らしい)。
花が咲いたのが原因で、タネが出来る。タネが出来たのが原因で、芽が出る。芽がでたのが原因で、大根が出来る。結局、原因と結果は、おなじことなのだ。
そーかんがえると、全部が結果であって原因であってそれに一喜一憂することが必要なんだろうか。
じゃあ、結果を求める私たちってナニ?
結局、私は欲かきばばあなのだ。私が求める結果とは大根が育つことなのだ。はっきり言って花でもタネでもない(このごうつくばりが)。大根が育たない!と一喜一憂するのは、おっきく育てて食いたい!という食い意地と「草ばっかり育ててんだろ?」とちゃちゃいれてくるおっさんへのドーダ理論炸裂感と、その他もろもろの虚栄心を満たしたいだけなのだ。
だけど自然界は、やまんばの欲などまったく興味なく、淡々と事実を積み上げているだけなのだ。延々とつづいていく生命の川は、人間が想像もできないほどの宇宙の調和という絶頂感に向かって突き進んでいるのだ。
その大きな流れの中で、ちっこい人間は「こっからここまでが、原因と結果」という概念を勝手に作り上げて一喜一憂している。
人間は自分が勝手に作り上げた土俵の上で、在りもしない「生きている実感」というやつをただ単に得ようともがいているだけなのかもしれない。
やまんばは自分のごうつくばりに気づいて、ほとほとあきれるのであった。しかし欲はまだまだつづく。。。to be continued…
絵:クレイジーマップ/阿佐ヶ谷
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2 件のコメント:
立場の問題ですよね。
野菜の立場だと、種を作って次世代に伝えるのが結果でしょうし、野菜をつくる人の立場では、野菜ができるまでが結果。種つくりは次の準備。
ふんでもって、食べる人の立場では、消化して、排泄するのが結果。かな??
ふんでもって、消化する。
うまいっ!ざぶとん一枚っ!
なるほど。立場によって結果がチガーウ。
その全体的なすべての立場を理解することが、静かな心で畑を探求する秘訣なのかもしれないね。
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