2009年2月4日水曜日
あくびで絵を描く
棟方志功さんが制作しているシーンを見た事がある。目を木にひっつくぐらいくっつけて、ものすごいスピードで木を彫っている。
あるアーティストが制作するシーンを見る。無心に筆を動かしている。
そういう姿を見ると美しいなあ〜とおもう。絵を描く姿って、こうでなくっちゃ、とおもう。
私はというと、あくびばっかりしている。
絵を描きはじめる前のあの抵抗感。いやだなあ、いやだなあとおもいながら、あれこれと絵とは関係のないことをしばしやって、制作を先延ばしにする。でも仕事だから締め切りが迫っている。やらなきゃいけない。うんしょっとムリヤリはじめる。
すると描いている先から、あくびばっかりでてくる。ふあ〜、ふあ〜と、大口あけてあくびする。目から大粒の涙がほとばしりでる。
エンピツで線を一本引いちゃあ、大あくび。目から大量の涙。また一本引いちゃあ、大あくび。それをくり返す。それをしていないときは、ぼーっと窓の外を見ている。
絵を制作するという姿は(テレビで見るかぎり)、美しいもんだと相場が決まっている。でも私のそれは、とてもじゃないが人にお見せできるしろものじゃない。
眠たいのか。ちがうのか。そこのところの見極めがむずかしい。ホントに眠たいばあいもある(笑)。でもその大あくびを乗り越えると、だんだん入ってくる。相変わらず、ちょっと描いちゃあ、ぼーっと外を見ている。ちょっと描いちゃあ、鼻をほじくったりしている。
で、気がついたら手のウラを真っ黒にして、絵が出来ている。そんな感じ。
私は怠け者だ。こんな描き方じゃあダメだ。と、ずっと思っていた。でもひょっとしたら、みんな似たようなものかもしれない。テレビで美しく取られているシーンは、じつはほんの一部なのかも。そのアーティストは、カメラが回っていないときは大あくびしているかもしれない。棟方志功さんも、木彫りをしている時以外は、ぼーっとしていたかもしれないのだ。
脳に酸素が足りなくなったらあくびをするというではないか。(ホントは脳が酸欠を感知するということらしいが)ひょっとしたら、そのとき私の脳はものすごい勢いで動いているのかもしれない。そのため酸素が枯渇する(つまり私が酸素を吸いまくっている?)。だからひっきりなしにあくびをして大量の酸素を必要としているのかもしれないのだ。
つまり私の制作は、ほとんどの時間を「あくび」と「ぼーっ」についやされている。いや、ぼーっとしているあいだに、ものすごい脳みそが動いていて、そのため酸欠が起こり、あくびをする、という構造なのかもしれない。やはり、ぼーっとする事は偉大なのだ。
ぼーっと考えて、あくびで絵を描く。私の制作はこのような仕組みになっているようだ。(ホントかいな)
最近、自分のやることなすことを全部肯定しようという作戦にでている。
わしゃ、このままでいいんじゃあああああ!と。
絵:「へるすあっぷ21」フットセラピー
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2 件のコメント:
はっちいです。御無沙汰してます。
僕も絵を描くのがめんどくさくて、今はもう野鳥とか植物とか写真撮ってます。相手があるとあくびする暇ないから、怠惰に陥るスキがありません。
小説より俳句、絵より写真、あとは料理も、3分くらいで終わらないともうダメです。
つくしたいへんだねえ。その性格で絵描いてんだから。でも絵には悪くない方ににじみ出てるのかもね。
そのうちワイン飲みに連れてって!
わあい、はっちいだ。いらっしゃいませー。
なるほど。何でも短めにいくのがはっちい流なのだな。料理も3分で終わらないとか。じゃあ、私があくびしている間に終わっちまうんだな。すごいスピード感。だからあんだけの仕事がこなせるんだな。すごいはずだ。
わたしゃ、高尾のすそのであくび仙人として生きることにしましょう。(昔ハクション大魔王ってマンガにあくびちゃんっていたような...)絵にそのたるさがでてなくってよかった事。
そうだ。ダンナにうんと稼いでもらって、ウマいワイン飲みにいこう!
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