2024年8月12日月曜日

「神の愛」

「木片は語る」

先日、夜中に苦しさで目が覚めた。


不安とも不快とも恐れともなんとも形容しがたい漠然とした嫌な感覚。

ちりめんビブラートのような微細な振動が私の心の中を覆っていた。


個人的な不安でもあるのかと思ったが、具体的なものは出てこない。

その日宮崎で地震があり、南海トラフの活動が取りざたされていた。

これは個人的なものではなく、人々の不安な思いを感じているのか?


そうはいっても、それを野放しにしておくこともできない。

これも何かあるのだろうと、あの手この手を使って、この不快なものをどうにかしようと試みた。

しかしどうにもできなかった。


「そうか。この抵抗があかんのやな。もう諦めてこの不快を全面的に受け入れるしかないな」

と、大の字になって全身で受け止めた。


するとかすかにその日の朝にやっていたレッスンの言葉が浮かんだ。

「レッスン50:私は神の愛によって支えられている」


「神の愛」とはなんなのか全くわからないが、

その言葉を繰り返していると、静けさが心に広がりだした。

そして不安は完全に消えてしまった。


「神の愛」と思うだけで心は安堵し、平安が広がった。

私にとって神の愛とはなんとも漠然として抽象的であるにもかかわらず心地よく、

抽象の世界をこんな風に体感するとは思わなかった。


さらに次の日の朝、不安な思いが立ち上がってきたとき、

「私は神の愛によって支えられている」と言ってみた。

清らかさが広がっていった。清らかってこういう感じなのか。




癒しを受け入れて以来、癒されることを積極的に受け入れている。

そうなって初めて癒されることへの抵抗が自分にあったこと知る。


以前は「癒し」という言葉が漠然としたものでしかなかったが、

今はとてもリアルになった。


夜、その日に出会った人々を思い出し、

すべての人々の心が癒されることを願う。


それは同時に自分の心も癒されることになるのだから、

ともに癒されて平安になる。









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