今回、コケたことで色々教えられた老いという恐れ。
体が動かなくなって、不自由になる。
自分で何もできなくなって人に頼る。
そのためにはお金が必要。家が必要。。。
しかし私にはない。。。
その漠然とした恐怖の中で生きる。
最近通い出した25mプールの中は、
私も含めて100%老人たちで埋め尽くされている。
彼らの心の中は、自身の体のことで頭がいっぱいだろう。
この体をちょっとでも快適にするために。
その思いを私も共有していた。
ちょっと足をくじいただけでここまでの思いが浮上する。
大病を患った人の心はいかばかりか。
その心は自分を責める気持ちでいっぱいだろう。
あの時もっと制御していたら、あの時、、ああ、あの時も、、、。
しかし悔やんでも仕方がなく、絶望の中で小さな光を求めて生きる。
後悔と絶望。。。
老人たちはこんな思いを抱えて生きている。
プールの後、JAに行けば、そこにも介護の人に付き添われた老人たちだらけ。
心は体とお金のことでいっぱいだ。
この私はといえば、お金もなければ保証も全くない人生。
老いてきて、ますますリアルになってきた。
なんでこうしてしまったんだろう。あの時ああやっとけば。。。
老いが考えさせるお手本みたいな思いが押し寄せる(笑)。
体というこの厄介なものと、それを少しでも快適にさせるためのお金。
この二大巨頭を求めて人間は彷徨う。
この世は地獄だ。
自分の心の中を見れば見るほど、
ものすごい恐れの中で生きているのがわかる。
それを目先の楽しいことで気を紛らわす。
見ないことにする。なかったことにする。一瞬忘れる。
その気の紛らわせでかろうじて生きている。
私にはそれができなくなった。
ごまかせなくなった。
人はどんな思いを人知れず抱えているのか、
自分の思いを通して見えるようになってきた。
それは私一人が抱えている恐れではなかった。
この世界に生きる全員が抱えている恐れだ。
私一人ではない。
今はそれが私を支えてくれている。
プールで泳ぐ50人ぐらいの老人たちを愛しい気持ちで眺める。
泳ぎながら心に愛が広がってくる。
明け方、
徹底的に自分を責める心で起こされる。
部屋のアレが汚い。あそこを綺麗にしなければ。。
そう思って起き上がって綺麗にする。しかし心は晴れない。
当然だ。本当はそこが問題ではないからだ。
自分の存在自体を責めているのだから。
私は自分の闇に向かい合う。
正直にそれを聖霊に語る。
闇は手放されるために出てくる。
私の中の全ての闇を光に捧げたい。
そして今この瞬間にも、私と同じ悩みを抱えている、
この世界のどこかの誰かも、
ともに癒されるよう祈る。
私一人が抱えているのではない、
この苦しみをがともに癒されることを願いながら祈るとき、
私の心は広がる。
個の自分ではない何かに触れている。
心が癒されていく。
絵:「縁側ネコ」
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