2023年3月19日日曜日

自分を極める


 

先日、本屋さんでエリックカールの絵本を手に取った。


彼の絵本は超有名。

私自身も紙を切って作品を作っているので、

彼のことはもう何十年もずっと気になっていた。


しかし実際はパラパラと絵を見るだけで、じっくり絵本を読んだことはなかった。

時間があったので読んでみる。



愕然とした。


彼は自分の限界を知っている!

そしてその限界がゆえに表せる世界がそこにあった。

それはエリックカールでしか生み出せない世界観だった。

そしてその限界があるがゆえに、そこに無限の可能性がある。


自分を極める。

それこそが天才なのだ。

誰にも通れない道。

誰にも真似できない道。

その人にしか歩めない道。

それを突き進む。

それが自分を極めることなのだ。

実はみんなができることなのだ。




私たちは小さい時、誰かになれと言われてきた。

お姉ちゃんのようになりなさいとか、

ナイチンゲールになりなさいとか、

なんとか屋さんになりなさいとか、


はたまた、お姉ちゃんなんだから、ちゃんとしなさいとか、

ああなってはいけないとか、


とにかく、なんだか知らないが、

そのまんまの自分じゃダメだって言われ続けてきた。


60過ぎて思う。

それ、もともと無理なんじゃね?


自分じゃないカタチの中に、無理やりはめ込もうとさせることは、

もうほとんど拷問だ。


しかも将来大人になったら、

いくつかの職業の中のどれかになれって言われている。


あるいは誰かが作った問題に、

誰かが作った答え。


問題と答えをずっと解き続けさせられ、

決まり切った形の答えの中にはめ込む。

テストテストテスト。


それを解いたら一人前。

それができてこそお前は人間として認められる。


は?

どこかの誰かが考えついただけの問題と答えなんだよ?

それを基準にされて、括られて人生送るわけ?


だがその中で自分が自分に教え込んでいることは、

とんでもない劣等感だ。

「お前は間違っている!」と。


自分が出した答えではなく、誰かが出した答えを求めてさまよっているのは、

ひとえに答えは、外にあったからだ。

小さい時から、ずっと答えは外にあって、それを必死で取りに行ってたのだ。

だから誰かさんのようになろうなろうとしてきた。


しかし今私はエリックカールを見た。

その絵本が教えてくれているメッセージを読んだ。


うん。自分でいいんだ!


自分には自分の独自の道がある。

その道を極めることは楽しいに決まっている。

だってなんの無理もしないのだもの。

どっかの形にはめることはしなくていいんだもの。

息するように生きたらいいんだもの。


自分を極めるのだ。

徹底的に自分を生きるのだ。



それはまったく真っ白の、誰も見たことのない道だ。

私だって知らない。

だって知るわけがない。

これから出てくるんだから(笑)


真っ白から始めようっと。




絵:「MF新書」表紙イラスト








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