2022年8月16日火曜日

No private thought

 

春の露天風呂

この世界を「絵に描いた餅だ」と分かったとしても、

それを実際生きていくのは相当難しい。


この世は幻想だと言いながら、しっかりいろんな感情に振り回される。

それはまさしくその世界があるのだと信じている証になる。


その「証」を使って、この世界から解放させていくのだ。

信じていることからの解放。



先日ある人から、コースを教える人であるデーヴィッドホフマイスター氏がやっている「エクスプレッションセッション(心の開示)」というものの内容を詳しく聞いた。


それは何人かと輪になって、その中で自分が何を思っているか考えているかということを

正直に人に打ち明けるのだ。


そこに一切の綺麗事はない。

自分の闇の部分をしっかりとさらけ出す。


例えば自分が不倫をしていることさえも打ち明けて、

それがどのように自分に苦しみを与えているかをもさらけ出すのだ。


そこにはルールがある。

話の腰を折らない。

その話の途中で自分の意見を一切挟まない。

行ったり来たりの会話をしない。


ひたすら誰かが自分の心のうちを話し、

誰もそこに何の判断も解釈も入れない。

誰もそれに対して、いいも悪いも言わない。

そして、次の人に手渡していく。


例えばその場に、その逆の立場、旦那に不倫をされている人がいるとしよう。

自分の番が来た時、自分の旦那が不倫していて苦しく思っている胸の内を話す。

場合によっては、さっき話した彼女に対する思いさえも吐露するのかもしれない。

だが誰もそこに口を挟まない。誰もそれをいいとも悪いとも判断をしない。


デーヴィッドは、それをNo people pleasing No private thought(人の機嫌を取らない。隠し事をしない)という。



私はその話を聞いた時、思い当たることがあった。

あるグループラインの中でのことだった。


そして私はそのグループラインの中で、

日頃感じている悲しい思いを正直に打ち明けた。


私は不安だ。

ひょっとしたら私は嫌われているんではないのか?と。


書きながら、自分であることに気がついた。

心が癒されていったのだ。


いじめられっ子だったころの心の習慣がこう思わせていたのだとわかり、

それが溶けていった。


ああ、私は誰かの嬉しい返答を求めているわけではなかったのだ。

書けてよかったと感じていた。


しかし私の思いとは関係なく、

そのグループのみんなは、優しい返答をたくさんくれた。

私の勘違いだったことをちゃんと説明してくれた。


そしてもうひとつ気が付いた。

このグループに信頼を置いてない限り、

私はここにその思いを書けなかったということを。


自我の思いは、彼らを敵にしていたが、

聖霊の思いは、しっかりと信頼の中にいたのだった。


犬は信頼してそのハラを出す。

それが信頼の証。

いわば、自分の一番弱いところをさらけ出す。

人の機嫌を取らず、隠し事をしないとは、

まさに自分の弱さをさらけ出すことであったのだ。



その話と、冒頭の話とはどう関係があるのか。


心にためている苦しみは、それが実在すると証しする。

苦しむための原因がそこにあると教えているのだ。


幻想をしっかり握り締めているかぎり、この世界を実在させ続ける。

 

心に不信を持つことは、自分と他人は分かれていると証明していることになる。


デーヴィッドのエクスプレッションセッションは、

あらゆる物語には、何の判断も解釈も必要がないということを教えている。

それはすべて分離の夢物語だからだ。


リカちゃん人形遊びで(古い!)、ワタルくんにリカちゃんが、

「あんた、浮気したでしょ!」

って怒る遊びをしてても、そこに判断も解釈もいらないのと同じ。

そこに判断が起こるから、それが実在し始める。


この世界が存在しないことを知り始めるのは、

兄弟との間の不信を消していくことだ。

兄弟とともに癒されていくことがこの世界からの解放。

一人では決してできない。


兄弟と自分が分かれていると思わせるのがこの世界。

闇は必ず兄弟の間で起こる。

それは自分と他人が分かれていて、

相手のことはわからないという恐れによって引き起こされるから。


その揉め事の中にずっといるのがこの世界。


だが心の中に隠し持っている闇をさらけ出していく勇気によって、

この世界が光り始める。

忘れ去られていたものが、現れ始める。






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