気がついたら、体のどこかにあるできものを触っているってことないだろうか(笑)。
できものをホジホジしている自分に気がつき、
「あ」と思った。
私は何かとっかかるもの、引っかかるものが欲しいんだ。
それはもうニキビの問題でも脂肪の問題でも車のワイパーの問題でも旦那の問題でもお金の問題でも、なんでもいいのだ。
引っかかれるものさえあれば。
自分の心の中をつぶさに観察していると、四六時中探している。
何を?問題を。
あ。この問題!あったあった。この問題さえ解決できたら、私は幸せになれる!
その問題に取り組み、そして無事解決し、
ホッとしたのもつかの間、また次の問題が発覚するのだ!
その問題に一生取り組み続ける。
私たちは自分が体だと思いたい。
肉体だと思うってことは、あなたと私は違いますっ!と線を引きたい。
分離を確認したい毎日なのだ。
なんでやねん。
平安が怖いねん。平安を拒否しているねん。
ホゲーーっとすることが怖いねん。
それは自分が消えてしまう気がするから。
だから必死で毎瞬毎瞬問題探しに明け暮れるのだ。
これを問題詐欺師という。(今作った)
電話がかかってくる。
「もしもし?」
「あー問題問題。それ問題ですよー。どーしますかー。」
「え?問題があるんですか?」
「そーですよ。その問題を解決しないことには、あなたには幸せが訪れません」
「えー。どーすればいいんですか?」
「それはですねえ。。。。」
と、あなたは問題問題詐欺に引っかかる。
そもそも詐欺師は問題があるという前提から始まるではないか。
問題がなかったら、詐欺師にはならない。
ずっと問題と取り組んでいる間は安心である。
それは自分という個別の肉体を温存できるから。
「あーたっ、一瞬でも問題を忘れてホゲーっとでもしてみなさい。
その瞬間、自分が消えてしまうのですよっ。
なんて恐ろしいことでしょう~。」
その自分とは自我の自分。
実は存在していない架空の人物。
その人物の人生は苦痛と苦悩で満ちている。
苦労と努力の中で、ほんのちょっとの飴をもらって喜ぶだけのちっこい人形。
その人形が、自分が消えることを恐れている。
本当の私はそこにいない。
そんなちっこい架空の人形の中にはいない。
平安が恐ろしいのは、
本当の自分を思い出すと消えてしまう自我の恐れ。
問題問題詐欺から卒業だー。
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