「聖霊とともに見る」と、私はよく言っているが、
具体的に指示する形での聖霊からのメッセージはこない。
しかし出来事に対する視点が、これまでの見方とは違う見方が起こってくる。
そうすると自我的な視点で見れば悪いことでも、聖霊の視点が入ってくると、悪いことではなくなる。
その視点が不意に入ってきたとき、心はふわっと軽く明るくなるのだ。
自我はいつも何か悪いものを探している。
何か問題はないか。その問題をクリアすべきだと。
私たちは無意識に自我と一緒になって、問題を探し続けている。
その問題が見つかると、嬉々としてあれこれと解決方法を練る。
そうやって自我はこの世界を実在させ、いつまでもこの世界に関わらせようとさせているのだ。
自我にとってはこの世界がなくては困る。この世界そのものが自我の世界だから。
そうさせているのは、実は自我もこの世界も実在していないからだ。
ないものをあるように見せかけて、それに取り組ませる。
いつまでもそれに気がつかないままでいてくれるのが目的。
だからそれとは正反対の聖霊の視点が入ってくるようになってくれては困るのだ。
私の目下の問題は「漏水」。
去年からずっとどこから漏れているかわからない漏水で悩まされている。
頼んだ業者さんも今忙しくて我が家は後回し。請求書が来るたび愕然とする。
私の中にある漏水に関するあらゆる信念がある。
限りある資源の無駄遣い。
お金の無駄遣い。
そのうち家が傾いてくるんじゃないか。
家がカビだらけになるんじゃないか。。。。等々。
漏水という言葉が頭に浮かぶたびに震え上がる。この世界が深刻になる。
自分だけが間違ったことを犯した罪人に思えてくる。
そうすると、この世界は実在しない、幻想だ、夢だ、などという言葉が全部吹っ飛ぶ。
あるじゃないか!こうして現に今も水が漏れていて。。。と思うと、いてもたってもいられなくなる。
これこそが自我の大目的。恐れの中で行動してくれる事を望んでいる。
私は経験上、恐れとともにやる行為は混乱しか産まないことを知っている。
でも心は大騒ぎする。
何かしなければ、早く業者さんにプッシュしなければ!という思いでお祭り騒ぎになる。
私は静かになってじっと聖霊に頼む。
これをあなたの視点で見せてください。。。。
何も浮かばない。
(浮かばないんかい!)
という風に相変わらず私の聖霊さんは黙して語らない。
しかし聞いた時には黙っているが、不意にそれは忘れた頃に訪れる。
「漏水?楽しいじゃん!」
え?
た。。。楽しい。。。?
漏水が楽しいなんて、世間で口が裂けても言えない(いや書いてるし)。
でもふわふわ両手を広げて踊ってる私の姿が浮かぶ。
「ロースイロースイ楽しーなー♬」
。。。だんだん愉快になってくる。
そうなのだ。
この世界が実在するとすれば、漏水は問題。
しかし本当はないとなれば、漏水はちょっとしたスパイス。アトラクションになる。。。。w
なんつー。。。なんつー発想なのだ!
ええんかい、それで!
聖霊は喜びとともにある。
いつも笑っている。
であれば、こんな発想も至極当然。
光の中で笑っている聖霊がいた。
ロースイロースイ楽しーなー♬
どじょうすくいでも踊っちゃおうかしら。
ペーパーバック表紙イラスト
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