2021年11月21日日曜日

沈黙で答える


 

心の中の声は、絶えず自分を正当化している。


あの人がこう言ったから、私は傷ついた。

あの人がこう言ったのは、私がああ言ったからだ。

だけど、だけど、そもそもあの人がああいう態度だから、私はああ言ったのよ。

私がどれだけあの人に。。。。


考えもしないのにどんどん出てくる言葉。


私はその声に沈黙した。


その声はいくらでも言い続ける。

しかしその声に答えはない。

それは自我の声だからだ。


自我は自分で答えを見つけ出さない。出せない。

なぜならそれが自我の目的だから。


自我はそうやって私たちの心の中にいくらでも忍び込んでくる。

そうやっていつまでもありもしない問題に取り組ませようとする。


私はその声に沈黙した。

沈黙で答える。

沈黙が満ちていく。




自我の声はとても具体的だ。


人がいて、自分がいて、喋った言葉や態度があって、状況があって、物があって、問題があって、、、。

すべてが具象の中で展開する。


しかしそれは偽物だから具体的なのだ。

具体で示すことで、ここに実在すると証明しようとしている。


ほらここにあるでしょ。

ほら、ここに肉体があるでしょ。

ほら目の前にも肉体があるでしょ。

あるでしょ。見えるでしょ。

だ、か、ら、あるのよ!


あるのだと証明したがっているのは、それがないということだ。


具体の中には苦しみしかない。

答えのない世界でぐるぐる回っているだけの苦の連鎖。




それを見届け、どんどん赦していくうちに、しだいに具象ではない抽象を見つけ始める。


肉体という具象の目で見る世界ではない、

肉体ではない何かで知る抽象。


今までは雲の形をなぞっていた。

どんな形の雲か、それをどうすればいいのかと。

しかし今は、雲と雲の間の何もないものを見る。



沈黙の先に見える光。

静けさの中に満ちてくる光。



忘れていた答えはここにあった。





絵:「見上げた空」

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