この頃ときどき心が静かな時がある。
心を観察していると、罪をささやく声に気づく。
あれはどうなった?
これはダメだろう。
ああ、また失敗した。。。
その声にそれを聞いている私は常に緊張を強いられている。
そうだそうだ。また何かしでかしてないか?
また人に迷惑をかけていないか?
そしてこれから起こるかもしれない未来を恐れ、自分を見張る。
そういった一連の、私の心をおびやかす声がピタッと止まるのだ。
その時の安堵といったら!
本当に安心する。
とっくに忘れていた、子供のように飛び跳ねたくなる気持ち。
なんでもないのにやってくる嬉しさ。
美味しいものを食べたり、いいことが起こったわけでもないのに、
光の中でただただ喜びに浸る。
そういう時、ずっと心に聞こえていたその声が、
いかに私を怯えさせ、地獄におとしいれていたかを知る。
なあんだ、結局あの声に怯えていただけだったんだ!
本気でそれを本当のことだと思い、深刻になり、
真剣に受け止めていただけだったんだ~。
全然本当のことじゃなかった!
ぜんぶウソだった!
なあんだ。なあんだ。
自我の声は罪を土台にしている。
だからすべてのささやきは罪を思い起こさせていた。
そういったことが実に明快に見えてくる。
もう二度とあの声に耳を貸さないぞ!
あんなもの、実在してないじゃないか!
幸せの中で1日が始まり、幸せの中で眠りにつく。
そうした日々が何日か続いた後、ひたひたといつもの声が戻ってくる。
あれはどうなった?
これはダメだろう。
ああ、また失敗した。。。
これが私がいつも感じているもの。馴染みのある感覚。緊張の中で生きる私。
常に罪悪感を抱え、罪の意識の中にいる私。
赦しと訂正の日々が戻ってくる。
あれは恩寵なのだろう。
こうなるんだよと教えてくれる時々のプレゼント。
本当の私は喜びの中で今も生きているのだと。
最初は数年に一度。そして数分間。そして数日間。そして数週間。。。
何度か繰り返されるギフトの訪れに、それが本当の私であることを実感し始める。
そしていつもの声を聞きながらも、時々ふっと思い出すその感覚。
ああ、そうだった。私はこっち。神といっしょにいる側だった。
具体的に見える知覚は、恐れを持ってくる。
それといかに格闘しようと、そこに救いはない。
自我が教えてくる世界に天国は存在しない。
それを見過ごして、私は抽象の世界に心を向ける。
耳には聞こえない神の声に。
目には見えない神の世界に。
絵:「秋の音」
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