2021年11月1日月曜日

時々のプレゼント

 


この頃ときどき心が静かな時がある。


心を観察していると、罪をささやく声に気づく。


あれはどうなった?

これはダメだろう。

ああ、また失敗した。。。



その声にそれを聞いている私は常に緊張を強いられている。


そうだそうだ。また何かしでかしてないか?

また人に迷惑をかけていないか?


そしてこれから起こるかもしれない未来を恐れ、自分を見張る。


そういった一連の、私の心をおびやかす声がピタッと止まるのだ。


その時の安堵といったら!

本当に安心する。

とっくに忘れていた、子供のように飛び跳ねたくなる気持ち。
なんでもないのにやってくる嬉しさ。

美味しいものを食べたり、いいことが起こったわけでもないのに、

光の中でただただ喜びに浸る。



そういう時、ずっと心に聞こえていたその声が、

いかに私を怯えさせ、地獄におとしいれていたかを知る。


なあんだ、結局あの声に怯えていただけだったんだ!


本気でそれを本当のことだと思い、深刻になり、

真剣に受け止めていただけだったんだ~。

全然本当のことじゃなかった!

ぜんぶウソだった!

なあんだ。なあんだ。


自我の声は罪を土台にしている。

だからすべてのささやきは罪を思い起こさせていた。


そういったことが実に明快に見えてくる。

もう二度とあの声に耳を貸さないぞ!

あんなもの、実在してないじゃないか!


幸せの中で1日が始まり、幸せの中で眠りにつく。




そうした日々が何日か続いた後、ひたひたといつもの声が戻ってくる。


あれはどうなった?

これはダメだろう。

ああ、また失敗した。。。


これが私がいつも感じているもの。馴染みのある感覚。緊張の中で生きる私。

常に罪悪感を抱え、罪の意識の中にいる私。

赦しと訂正の日々が戻ってくる。





あれは恩寵なのだろう。

こうなるんだよと教えてくれる時々のプレゼント。

本当の私は喜びの中で今も生きているのだと。


最初は数年に一度。そして数分間。そして数日間。そして数週間。。。

何度か繰り返されるギフトの訪れに、それが本当の私であることを実感し始める。


そしていつもの声を聞きながらも、時々ふっと思い出すその感覚。

ああ、そうだった。私はこっち。神といっしょにいる側だった。




具体的に見える知覚は、恐れを持ってくる。

それといかに格闘しようと、そこに救いはない。

自我が教えてくる世界に天国は存在しない。



それを見過ごして、私は抽象の世界に心を向ける。


耳には聞こえない神の声に。

目には見えない神の世界に。




絵:「秋の音」

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