「HEAL/奇跡の治癒力」という映画を観た。
心がからだにどれだけの影響を与えているかについての映画だ。
心がからだにどれだけの影響。。。
というか、心そのものがすべてに影響を与えている。見るもの聞くもの触れるものすべて。この世界すべて。
ストレスが病気を作ると言われて久しい。映画もそれについて畳み掛けるように話していた。そして医者の言葉がどれだけ人々にマイナスの影響を与えているかも。
それについて思いだしたことがあった。これはあとから義母に聞いた話だ。
去年、父は病院から送られて来た多数の書類の中に、気になる書類を見つけた。
そこには「余命3ヶ月」と書かれてあった。患者にそんなことを書いた書類など渡すはずがない。病院側のミスでまちがってその書類が紛れ込んだようだ。
その時から父はがぜん身の回りの具体的な処理をし始めた。墓の中の祖先の骨の整理、自分が死んだ時の葬式の手配。
私を「葬式のことで話しがある」と呼んだときもそのころだ。
そして父はその後かっきり3ヶ月後に亡くなった。
これを「医者はすごい」ととらえるのか、
これって、「それ聴いたからじゃないの?」ととらえるのか。
そのはなしを聞いて私は催眠術を思いだす。もし父がその書類を手に取っていなかったら、もう少し長生きしたかもしれないと。
だが一方でこうも考える。
もしあのときその「余命3ヶ月」という書類を見ていなかったら、父は私に葬式のことで話しがあると呼び出さなかったかもしれないし、墓の整理もしなかったかもしれない。あの書類のおかげで父は自分に覚悟を決めたのかもしれない。
葬式についての金銭面やこまごまな指示がなかったら、義母と私はぼうぜんとして路頭に迷っていたことだろう。覚悟を決めた父に感謝する。
父にとってあの書類を手にすることは、まわりにとっても自分自身にとっても必然だったのだろう。
そう思うと、一見残酷でひどいことに見えるものが、あとあとで実にうまく出来ていることに気づかされる。
この世で起こる出来事は、一人一人に気づきの学びを与えている。
これほどまでにあらゆるからだの病気が広がり、精神の病いも広がっているのは、
偶然にも、
不幸にも、
唐突にその人に起こってしまったことではなく、
それを通して「これは私に何を気づかそうとしているのか?」と、自問自答するためのチャンスを与えてくれているのではないだろうか。
忙しい現場で働くそのころの担当医に文句を言う気はないが、少なくとも医者の言葉がどれほど患者の心に『有罪判決』に値するような、マイナスの影響を与えているかを心にとどめておくことは大事だと思う。
先日の映画は、あらゆる方向からのアプローチだったが、心がすべてに影響を及ぼすことの真実を提示してくれた映画だった。
そういう流れがこれからますます広がっていくことを願って。
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