お正月三が日。何もしない日々を過ごした。
いつもの食事に、友人が送ってくれたおいしいものをちょこちょこいただく。それだけで十分満たされた。
テレビも見ないし、ビデオも見ない。仕事も終らせた。
何もしないとはなんと退屈なことか。
手持ち無沙汰でさんぽに出かける。
昔犬のユタをよく散歩させていたコースをダンナと歩く。高尾の山並みをみながら、ひなたぼっこ。
老後について話し合う。わたしの思いの中に誤解があり、理解のために言葉がつむぎ出される。やがて統合されて平らになった。
計画のためではない。計画など出来ない。
そもそも計画とは、過去の記憶にもとづいたものだ。それは未来に過去の延長を持ち込むだけでしかない。つまりは想像を超えるものではないと言うこと。
この年になると、老後が具体的になる。まわりを見渡して、過去の記憶を辿れば、あまりうれしい未来は見えない。しかしそれが人生と言うものであるらしい。
そういう想像しか出来ない。
これは創造であろうか?
ただの想像でしかないのではないか。
自分の過去を振り返ると、想像したようにはまったく進まなかった。と言うことは、これから先も、想像できるものではないのではないだろうか。
梅林の中に入ると、とてもすてきな場所を見つけた。剪定された梅の足元に、ハコベとオオイヌノフグリが密集して広がっていた。いかにも寝心地のいいトトロのベッドのように。
2人で裸足になり大の字になって寝そべった。真っ青い空をバックに、梅の花のつぼみがほころんでいる。青い空と交叉する梅の枝、耳元をくすぐるハコベの感触。大地の暖かさ。
この時間をもらえることを誰が想像しただろうか。
私たちはとても大きな損をしているのかもしれない。
想像できる範囲でものを考え、想像できる範囲で問題を解決しようと走り回る。
口からついて出てくる言葉は「ああしなければいけない」「こうあってはいけない」
でもほんとうにそうなるんだろうか。
その心の不安が、心を、出来事を、想像の範囲にとどめてしまうのであったなら、梅の木の下にトトロのベッドはみつけられないのかもしれない。
心を解き放とう。
未来を、自分が考える範囲にとどめさせるのをやめよう。
「全部自分がなんとかしなければいけない」
という呪文をつぶやくのをやめていこう。
自分の人生を、想像を超えるものにゆだねよう。
そう思わせてくれる年の始まりだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿