自我があるから、時間がある。
過去と未来は自我が作った。
怖れは、過去と未来にだけある。
だが実際は、「今」しか存在していない。
今は未知。過去は既知。
自我は目の前にあるものに即座に名前を付けて、この世界があるかのごとくみせる。
自我は未知を怖れる。なぜなら未知は自我にとって耐えられないエリアだから。
自我は未知を怖れる。なぜなら未知は自我にとって耐えられないエリアだから。
しかし今の瞬間の中に平安がある。
何一つ変化しない、動かない永遠だけがある。
何一つ変化しない、動かない永遠だけがある。
動いていくもの、変化していくものが存在するという、その感覚の中に入っていくな。
その感覚を疑え。
知覚を疑え。
今ここに、過去と未来があるようみえるが、あたまの中だけだ。
過去はここに存在していないし、未来もここに存在していない。
過去はここに存在していないし、未来もここに存在していない。
地獄は過去と未来にある。
未来にやってくるであろう地獄を怖れて、私たちは自分の日々の行いに気づかう。まちがわないように、悪い道に踏み外さないようにと怖れる。
過去はすんだこと。
終わったことで、過去はやって来ない。
そして未来は来ない。
今まででも一度も来たことはない。
怖れているのは未来だ。
だが未来は決してやって来ない。
怖れを吹聴するのは自我だ。
決して来ないものを自我は怖れろと言う。
自我とは、私たちのあたまの中で、四六時中言葉を投げかけるアレだ。
ああしろ、こうしろ、ああするな、こうするなと言い続けるアレだ。
こうやって自我は私たちを牢獄に押し込める。
卑小になれ、弱きものになれ、と。
来もしないものを、やがて来る来る来る来ると言い続けて。
未来は、決して来ない。
いつも今しかない。
自我が訴えるトリックに気づけ。
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