昔からときどき見ていた夢。
それは犬にエサと水をあげなかった後悔の夢。
しまったあ!
あげてなかった!
どうしよう!
生きているんだろうか~!
あげてなかった!
どうしよう!
生きているんだろうか~!
動揺と恐怖が一瞬に起こり、慌てふためく。
ドキドキして、目が覚める。
まわりを見渡すと今。昔の犬はとっくにいない。水もエサもあげる必要もなく、ホッとする。
だけどあの夢はなんだ。。?
答えは出ない。
だけどあの夢はなんだ。。?
答えは出ない。
今朝、久しぶりに見た、あの種類の夢。犬にエサと水をあげなかった夢。
続きがあった。
それは「ナナ」と言う名前だった。
わたしが二歳の時にもらわれて来た犬の名前。
親に殴られた時、同級生にいじめられた時、ナナはいつもそばにいてくれた。毛むくじゃらのヨークシャテリアの雑種、ナナ。
しかし夢のそれはカタチがすこしちがっていた。
グレーのまだら犬。
最初はハムスターみたいに小さかった。長いこと水とエサをあげなくて、生きているのか死んでいるのかわからない、手の平に乗るサイズの小さな毛の塊。
それに水をあげた。エサも食べた。
生きていた。
急に大きくなって中型犬になった。まったく余分な脂肪のない、野性的な犬。オオカミを細くしたようなスマートで、肩から前足にかけて赤く太いラインが走っている、ふしぎな柄をした犬ナナ。
ナナに首輪はいらない。リードもいらない。
わたしが思っている事、考えている事、それを前もって予期したかのように動く。すっとどこかに行っては、さっとわたしが居てほしい場所にいる。邪魔するでもなく、触りたくなれば、触らせてくれる。ほっておいてほしければ、適度な距離をもって、遠くからわたしを見ていてくれる。クマの足あとを教えてくれる。そこから先には行かないように、言葉もなくおしえてくれる。
ナナはわたしの考えを大きく上回る知性を持っていた。
ふと気がつく。
ナナは、ずっといつもわたしのそばにいた。
わたしはそれを忘れていただけだ。
「精霊。。。」
思わぬ言葉が心にわいた。
ナナはわたしの精霊だった。
エサと水を与えていなかったという後悔は、わたしがその存在を忘れていたということだったのか。
「何かを忘れている、すぐそばにいた、ほら、あのなにかを。。。」
それを暗示するかのように、その後悔の夢があったのかもしれない。
それが犬のカタチをしているかどうかは知らない。
ナナと言う名前なのかどうかも知らない。
ひょっとしたら、小さいとき飼っていた犬に、ナナという名前を付けさせたのは、その存在か。
ひょっとしたら、小さいとき飼っていた犬に、ナナという名前を付けさせたのは、その存在か。
私のそばには、私が考えるよりもはるかに大きな英知を持った存在が、そっと寄り添っている。いつでも、どこでも。
それに気がついていることが、水とエサを与えるという象徴になっていたのか。
そして、それは今も、すぐそばにいる。
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