「お父さんが、息があらいきねえ。はよう帰って来てや」
そう母から電話があり、あわてて飛行機の手配をして電話をかけなおす。
「最終便しかとれんかった。まにあうやろか?」
「うん。もう大丈夫。さっき息を引き取ったぞね」
おもわず、
「はやっ!」と、言ってしまった。
その四日前に高知に帰って来た所だった。その時の父の様子で、もう先はないなと感じていた。亡くなる直前まで血圧もなにもかもが正常だったと言う。しかし母が電話を切って、数分もしない内に息をしなくなったらしい。
父らしい、あっぱれな行き方だった。
きっと私が飛行機の手配やら、仕事の手配やら、バタバタしているのを近くでにやにやしながら見ていたんじゃないだろうか。
「何をあわてよらあ、おれはもう逝ったぞ」とかいいながら(笑)。
最終便で戻ると、父がベッドにいた。
すぐに目を開けそうな、でも、もうここにはいないような、どっちとも言えない不思議な父がそこにいた。
「今日はここでお父さんと一緒に寝よ」
父が私の母と離婚して、一度も泊まったことのない父の家。はじめてのお泊まりは、死んだ父と、再婚相手の義母と、狭い布団の中で川の字になって寝ることだった。
緊張してなかなか寝られない。そのうち小さな揺れに気がつく。「あ、地震が来る」と思った直後に揺れが。高知は震度3だった。
いろんなことが起こるなあ。。。
これからやってくる未知の体験に、ハラをくくらされた瞬間だった。
父プロジュースの元(笑)、喪主としての仕事が始まった。と言っても、葬儀社の方にやっていただく内容を次々に選択していくということのようだ。
父のカラダは死後硬直が始まっていた。納棺師さんがこられて、身体から出る液体を吸い上げていく。死後変化していく父を告別式までもたせなければならない。あいにくこの時期火葬場が込み合っていて、予定より一日ずれ込んだ。なによりもまずは火葬場ありきで予定が組まれていく。
父の肉体の変化に応じて、いろんな処置をしている納棺師さん。
父の家は二階がメイン。玄関までの階段は狭く急で、二度折れ曲がる。
膨れて重くなったからだを降ろすのは、出来るだけ早い方が中のいろんなものが出なくて済む、、、などのリアルな話しを聞きながら、
「じゃあ、早いとこ葬儀社さんの方に連れて行ってもらっていいですか?」
と、父を早めに運んでもらうことに。
長い闘病生活のために、肉体に水がすごくたまっていた。最後は足が自分でもち上げられないほどに。
注:写真は、父がまだ母と結婚する前のもの。
押し入れの中から古いアルバムをみつけた。
立ちポーズが決まっている(笑)。
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