「葬式のことで話しがあるから、帰って来い」
父からの電話で高知に戻った。
自分の葬式にはあれを置いて、これを納骨して、名簿はこのように。。。
と、色々注文をしてくる父。
はいはいとメモっているうちに、なんだかおかしくなってくる。
「とーちゃんさあ。今、自分の葬式のプロジュースしてるじゃん。それって、覚悟出来てるってことなん?」
何度ものがんの手術に耐え、抗がん剤治療も全部受け、今は全身にがんが転移している。そしてついに何の抗がん剤治療も行なわれなくなった。
父はそれを見て、自分の死を身近に感じたようだった。
父は私の言葉にちょっと考えて答えた。
「出来てない」
素直な父の言葉におもわず笑った。
離れて暮らして40年たつが、今になって父がどんな努力家だったかみる。
術後の回復力はすさまじいもんだった。日々のリハビリでみるみるうちに回復していく。人がみていないあいだにひそかに訓練して、杖をつかないで歩ける姿を見せて、医者や看護士さんたちをあっと驚かせるお茶目な所もある。
目標を持って、一歩一歩確実に前進していく人だった。
それが今は、何の努力もいらないと言われることになる。
「起きたいのに、起き上がるなと言われる。。。歩きたいのに、危ないから歩くなと言われる。。。なんちゃあできんじゃいか。。。。」
自分が情けないというような、泣きそうな顔をする。
日々後退していくカラダの状態。
トイレに行こうとしてこけると、もうおしめにしようと言われる。
今度はベッドで起き上がって後ろに倒れ込むと、もう起き上がってはいけないと言われる。
だんだん自分では何もしてはいけないと言われていく。努力の人が、もう努力はせんでええと言われる。努力こそが、彼のアイデンティティだったのだ。看護して下さる方々にご苦労をかけてまでの、その無念な気持ちは彼にしかわからないだろう。
人は何かを「する」ことで安心を買う。その何かを「する」ことさえも出来なくなると、彼の安心はどこで買うのだ?
「とーちゃんは、ほんとに努力の人やでねえ。すごいわ。でもねえ。ときにはなんちゃあせんでもええときがあるがよ。人生、決して悪いようにはならん。安心して起こることに身をまかせてみたら?」
レースのカーテンから漏れる薄明かりの中で、父はどこかホッとしたような顔になり、そのまますーっと寝てしまった。
私が生まれて来て、最初に出会った存在、父と母。
かれらを通してこの世のルールを知り、そしてまたかれらを通して人間の生き様をみせてもらっている。
高知の山は、今、緑がムンムンし始めた。
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