2018年2月10日土曜日

うほ♥



ふと「○○をやってみたい」と浮かぶ。

「うほ♥」と、心がウキッとする。
未来に起こることにドキドキワクワクする。

んが。
その直後、それとは正反対の言葉があふれてくる。
「それやって、どーするの」
「またあんなことになるんじゃないの」
「それ、意味なくね?」

とたんに、浮かんだことが、膨らんだ風船の栓をぬくように、しゅるしゅるしゅる~~~っとしぼんでいく。

過去起こったかなしー出来事が走馬灯のように一瞬で広がる。

「そうだそうだ。ジェッタイそうだ。何考えたんだろ。あほじゃね?あたし」
「あーバカバカし。さっさとやること終らせよ」
といって、またいつもの変わらぬ日常にもどる。

こういうあたまの中のやりとりが日常的に起こっている。



若いときは経験がないので、やりたいと思ったことをすぐ実行した。
しかし段々経験が増えていくと、「経験」という場所から判断やジャッジが始まって、インスピレーションは、ただの「妄想」に片付けられていく。


自我は過去を追いかける。
「今度はティラノザウルスにおそわれないよーに、身を隠すのだ」
という肉体的に傷つくリアルな肉体的保持のために利用できる道具だ。

と同時に、心が傷つくというものにまで肉体保持をしようとする。
どうも自我は肉体的に傷がつく体験と、心が傷つく体験の区別がつかないらしい。どっちもリアルな体験として保護をしようとするようだ。


であるから、何か新しいことをしようとすると、過去の経験を持ち出し、
「それはあぶない」といってくるのだ。

新しいことは未知だ。過去の経験が通用しない。
なのに過去の経験を引っ張り出して来て、最悪の状態を思い起こさせ、未知の中に入っていくことをとどめようとする。

年がいけばいくほど、未知に入りたがらないのはそこだ。経験がいっぱいあるからだ。自分自身の経験、他人から聞いた経験、メディアが教えてくれる経験。

そうやっていつもの場所におさまりたがる。
「あ~~、いつものここで、あ~んしん♥」と。



だが、どこかで沸々と心が騒ぐ。
「ここじゃないどこか。。。」
「なにかが欠けている感覚。。。」
「あるべき姿。。。」


ある時ふと浮かぶ、今までになかったインスピレーション。
「あ!うほ♥」とワクワク。

その直後、自我は言う。
「それ、意味なくね?」

「ああ、そうやそうや。やってなんになる?」
と過去の失敗を思いだす。

で、「あ~やっぱ、ここで、あーんしん♥」
と、ほっこりする。

の、繰り返し。



そういう心の繰り返しに気がつくのはおもしろい。
そうやって、心があっちゃこっちゃしているのに気がつくのはおもしろい。
その時、あなたは無意識の自動反応の中にない。
否定もせず、ただ見ている。

そのときあなたは、外にいる。







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