先日、ある機械の故障で、ある種類の商品がまったく作れなくなった。それは売り上げの主要なもの。
今日の売り上げは半減するだろう。。。そうおもわれていた。
しかしふたを開けてみれば、半減どころかその月の売り上げトップになっちゃった。
従業員は首を傾げる。
商品が少なかったから売れたのか?
それとも雪の日の次の日だったからか?
いろんな憶測が飛び交う。
まったく理屈に合わない現象がおこっていた。
何かの理由にもとづいて、売れたり売れなかったりする。。。わけじゃないのかもしれない。私たちの思考でわかるもんじゃないのかもしれない。。。
と、常々思いはじめる今日この頃。
何か、まだ知られていない決定的な法則があって、その法則さえ掴めば、お金持ちになれる。その法則さえ掴めば、成功者になれる。
人の心は、どこかでその法則があってくれればと願う。
その思いの元は、安心を求める心。
あれがありさえすれば大丈夫。
あれさえあれば、安心。
専門家に聞けば大丈夫。
そうやって、あっちの専門家、こっちのプロフェッショナルを渡り歩く。
そやけど、もしそういう絶対的な法則があるのなら、この世の中はお金持ちだらけだし、成功者だらけなはずやん。けど現実は。。。。?
ヒマなやまんばなら、そういう絶対的な法則を必ずみつけだせるに違いない。時間が有り余ってるんだもの。。。。。
けど。
残念ながら、そんなものない。
そうおもう。
なにもしようがない。
そうおもう。
だけど、その、なにもしようのなさが、なんともいえず、開放感を与えてくれる。
もし何かの法則があるのなら、それを使えない私はまだ未熟だ、という無意識の焦燥感を生む。
けど、そんなものはないのだ、というアイディアは、その焦燥感を取り除く。
畑で、どんなにがんばったって、出来るときは出来たし、出来ないときは出来ない。
仕事でどんなにがんばったって、うまくいくものはいくし、うまくいかないものはいかない。
これは言い訳だろうか。
うん。言い訳だよ。
もっとがんばらなきゃいけないのさ。
今、うまくいかないのは、あんたの努力が足りないのさ。
自我はそういつも私に言ってくる。
じゃあ、冒頭の出来事は、なんだったんだろう?
私になにをおしえようとしてるのだろう?
0 件のコメント:
コメントを投稿