2016年8月7日日曜日

縄文人と弥生人のはざまで



どこで聞いたのか、忘れたけど、縄文人の狩猟採集から、弥生人の農耕に変化したときから、戦いが始まったと聞いたことがある。

それまで、山に分け入って、野草や実や、時々狩猟をして、生きてきた民族には、自分たちが所有する「土地」というものがなかった。そこでは、野生も人も共存が出来ていたし、季節ごとに移動し、取り尽くさないと言う、自然なバランスが保たれていた。

しかし自分たちで土地を耕しそこに野菜を育て生きるという、一定の場所に固定された生活を選んだときから、ここは誰々の土地でありはじめた。

場所によっては、水はけのよい場所もあったであろうし、また悪い場所もあったであろう。川に近い土地もあるだろうし、水を確保するのに大変な場所というちがいもあっただろう。
やがて土地の大きさを競い合い、野菜の収穫量を競い合い、そして権力の象徴としての土地になっていく。村どおしの争いになり、民族通しの争いになり、豊かさとは、いかに土地を確保するかに心が割かれていった。


わたしの畑は、山と村のちょうどはざまにある。
山からは、絶えずサルや、イノシシや、タヌキや、ハクビシンなどがやってくる。村からは、猫もやって来る。
畑にいくたび、
「はて?ここにあったはずのきゅうり。。。?」
「あ~~れ~~~、ダイコンがあ~~」
と、なくなる野菜たちや、荒らされている畝を見る。

これは、あの狩猟採集の時代となにがちがう?

「そろそろあけびがいいころあいだ。明日にはちょうど熟れ時。。。ぐふふ。。」と、翌日行くと、もぬけのから。。。(笑)。
おんなじじゃねえか!
野生と人間が共存している世界だ。

ちがいがあるのは、弥生人的に土をホックリ返し、草を取り、種をおろすことが行なわれているだけ。
後は、自然の中で行なわれていることと同じ。野生も人もいっしょくただ。

土地を耕し「これはわたしの土地だ!」といい、他人も野生も受け入れない弥生人的な発想には、戦いが生まれる。電気コードを畑のまわりに張り巡らせ、野生も人も寄せつけない。
ちょっと前にあった事件をおもいだす。シカよけに付けた電気コードで、人が亡くなった事件。。。

だからといって、めぐらしてある柵を全部取っ払うことはしない。ほどほどに柵を作ってある。それでいい。

私の畑は、作物をいかに育てるか、ではなく、
自分の心のあり方を問われている気がする。

そんなことを考えていたら、ダンナが、
「福岡のじっちゃんもそうだったんじゃないか?
自然農法を通して、人間という生き方を問う、
そういうことを言ってたんじゃないか?」
といった。

わたしは縄文人と弥生人のはざまに立っている。
福岡のじっちゃんは、あまりにも先を走っていた人だ。

今、わたしはその入り口に立っているのかも知れない。


絵;「釣り」

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