2016年4月3日日曜日

ここが濃厚になる



ただウグイスの声を聴く。
ただキーボードを叩く感触を味わう。
ただ肩の痛みを味わう。
おとなりさんが開ける雨戸の音を聴く。
ただイスとお尻が出会っている感覚を味わう。

ここにいるとはこう言うことか。

わたしたちは意識をちょっと先にむける。
「これが終わったら、こんどはあれしよう。」

わたしたちは意識をちょっと前に向ける。
「あのことが心配だ。」

そしてそれを解決しようと、ちょっと先に向ける。
「どうしたらいいだろう。。」

そして過去の記憶から、答えを導き出す。
「ああ、やっぱあれがいけなかったから、こうしよう。」

そうやって、ウグイスの声よりも、お尻とイスの感覚よりも、あたまの中を優先する。
あたまの中は先の未来と、前の過去を行ったり来たりする。

それはきりがない。
考えれば考えるほど、ますます問題は膨らんで来る。するとますます頭はその考えの中に没頭する。心は目の前のことじゃなく、どんどん頭の中の世界に巻き込まれ、恐怖は増大する。

そういうことをわたしは繰り返して来たけれど、それは底なし沼なんじゃないかと思いはじめた。

『問題は、問題だと思ったときから、問題になる。
現象は、現れては消えていく。
心に浮かんだ問題は、それを重視しないうちに消えていく。』

そんな言葉を最初聞いたときは信じられなかった。
だけどほんの些細なことから実験を始めた。

ほんの些細な問題は、それをつかまないで放っておいたら、いつのまにか気がつかないうちに消えていた。
「あれ?」

少し気になる問題を見つける。でもそれをつかまないで放っておいたら、やっぱりこれも消えていった。

そんなことを繰り返すと、どれが重大な問題なのか区別がつかなくなって来る。どれも大した問題じゃなくなってくる。

それでもやっぱりこれだけは問題。。。と思うものが浮上して来る。
それを問題視する自分がいる。
でも、それもただ味わう。
起きては流れていく現象として、ただ見ている。



ただ見ていると、わたしはそこにいる。
すると車の音が聞こえる。カジカの声が聞こえる。キーボードのカチャカチャが聞こえる。指とキーボードの出会いを感じる。イスとお尻の出会いを感じる。

わたしは、ここにいる。
ここがどんどん濃厚になっていく。
そしてわたしと言う感覚は、だんだんあいまいになっていく。
大きな静けさがそこにある。




0 件のコメント: