2015年4月2日木曜日

大人は宙ぶらりんがガマンできない



「たくさんの宇宙があるかもしれないし、ないかもしれない。だけど確実なのは、自分が今ここにいるってことだ」
9才の男の子が宇宙を語るYOU TUBE。人類をアリに見立て持論を展開し、父親を圧倒する。

非常に心地いい。
そうだ。そうなのだ。彼は知ってる。
そしてやまんばもかつて知っていた。宇宙がどんなに大きくて、ニンゲンの今の脳でなんか考え切れないことを。

彼はいう。
「あるかもしれないし、ないかもしれない。それはだれにもわからない」
本当はこれが究極の答えなんじゃないだろうか。9才の彼はその答えをそのまま受け入れる。

大人になると、その答えは次第に消えていく。
そんな「わからない」なんてことは、言えなくなってくる。大人は「知っていなければならない」のだ。

ムリヤリ仮説を立てて継ぎ合わせ、矛盾したまんまその仮説を土台に新たな矛盾が展開されていく。その矛盾が吹き出した状態が、今の物質文明なのかもしれない。

「僕たちは理論は作れるけど、真実はわからないんだよ」
知らないということを知っている少年。



大人は宙ぶらりんな状態がガマンできない。
曖昧なままでいることができない。
早く答えを、確実な未来を、と保険をかけたり、安心できるものにすがる。

人生は刻一刻と変化している。
大人はその経験値から、こうなればこうなるだろうと予測する。そしてその先を憂う。そして策を練る。

やまんばは宙ぶらりんな状態がガマンできなかった。この不快なものをナントカ消し去ろうととしてもがいてきた。だけどそもそも安定ってあったのだろうか。安定なんて一瞬のもので、次の瞬間は、また別の不安材料を見つけ、あらたな安定を求めている自分がいた。

一瞬たりとも止まっていないこの宇宙。それ自体が存在なのだ。
小さい時は何かを知っていた。知らないことにワクワクした。今は知らないことが恥ずかしいことになった。忘れていたことを思い出した。




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