2014年12月7日日曜日

やっぱりね。あれのせいだわ。



近所のお姉さんがめずらしく私を呼び止める。
「ねえ、こないだウチの庭にサルが来たのよ!」
「え~~~っ、お宅にも?うちにも来たよ!」
「え~~~っ!お宅にも!?」

そーなのだ。今年はサルがけっこう行き交う。
家の前は川。その向こうが遊歩道。そこを移動するサルの軍団を見かけたのは先日で2回目。

たまーに川向こうの遊歩道をそこらのものを食いながら移動するサルたちを見かけるが、あっても年に一回ぐらい。それが日を置かずにまた見るのはめずらしい。畑側にもきたし。

ぼーっとながめていると、すぐ近くにサルが。
なんと川に面した庭のフェンスの上を歩いているではないか!げげげっ。
やまんばは開いていた窓を、そーっと音を立てないよー閉める。真っ赤なお顔をした立派なサルだった。ボスざるがまわりを探索しにきたか?

「やっぱりね。やっぱり圏央道だわ」
え?そこ?
彼女は納得したかのごとく言った。
彼女に言わせれば、圏央道がサルの出没原因なのだ。山にエサがない。だから里にサルたちが下りてくる。それはひとえに圏央道ができて自然が破壊されたからなのだ。

確かに高尾周辺の滝はその姿を消した。自然破壊は相当なもんだ。そのせいで樹々が倒されて野生動物のエサが少なくなったのはたしかだろう。そしてサルがエサを求めて里に降りて来ても不思議ではない。だから彼女の確信はある意味で正しいのだろう。




人は不愉快なことが起こると、何かのせいにする。
キホン自分の感心ごとの範囲以外のことは見えないので、もっぱらマイブームなことの中からその原因をみつけだしてくるようだ。
彼女の言葉の端々に、彼女が関心を持っているアイテムが浮かび上がってくる。権力、政府、政治家、システム、自然破壊、環境問題、町内会。。。。

彼女ひとりの力で解決できる問題ではないことを一生懸命考えている。一生懸命考えて頑張っている姿は、ある方向から見るといきいきとしていて美しい。
問題を見つけ、消し去るべき敵を見つけ、戦うことは、生きている実感が持てる。

しかし、「これがだめなのよ!これが!これさえなくなれば世界は平和なのよ!」という意識は、そのダメなものを彼女の中で存在させつづけるという現象が起こる。
それは問題メガネで世界を見るからだ。

だからサルが自分ちの庭に来ただけで、
「やっぱりアレのせいよ」ということになっちゃうのだ。
現象が起こると、自分のパターンの中で「解釈」をする。

サルが庭にやって来る=圏央道問題なのだろうか。
ひょっとしたら、今年の厳しい寒さが理由かもしれないではないか。
本当のところは、人間の頭では考え切れないのではないだろうか。大自然の摂理は、結局のところちっともわからないのは、このところの自然現象を見てもわかるじゃないの。



やまんばが、いわゆるインボー論ものをもういいやっておもうのも、敵を見つけてそれを取り除こうとしているあいだは、その敵は存在しつづけるんだとわかったからなのであーる。
わしらは世界は自分の外にあるっておもってるけど、ほんとはその人の中に展開されている世界でしかないのだ。

心の中にある自分自身の世界に向かって「敵があそこにいる!あいつをやっつけろ!」っておもっているだけなんだ。いるいると「解釈」し続けているから存在しつづける。


これ、きりがないのよ。
盛り上がれるけど、エンドレス。

彼女も延々と悩みつづけるだけなのだろう。それで彼女自身がしあわせになれるのか。それより、その問題定義を聞かされる家族や子どもが、彼女の言葉を通してどんなふうに世界を見るのか。その影響の方が問題な気がする。。。
 


サルが庭に来て、
「ほお。風流だ。。。」
とかんじるか、
「ぎっ、、、ぎょえあ〜〜〜〜ッ!」
とかんじるかは、あなたしだいなのであーる。
(やまんばは後者だけど)





2 件のコメント:

まいうぅぱぱ さんのコメント...

猿はしゃぁない・・・
朝に爆竹やってるけれど、効き目ない感じ。

つくし さんのコメント...

え、爆竹近所でやってるの?