2014年12月16日火曜日

頭は「ない」「ない」「ない」といいつづける



モーニングノートは、あれからときどきやっている。
けさおもしろいことに気づいた。

思考は言葉だ。いわゆる知られているいくつかの感情も、言葉に触発されてやってくる。
だから頭で考えていること=言葉。
なのでモーニングノートにかかれるということは、自分の頭の中を”みる”ことができる。自分の頭が日頃どんなパターンの中にいるのか視覚化できるのだ。

そーすると、自分がいつも「ないもの」に集中していることに気づく。
「あるもの」にはちっとも心がいかない。

「あ~、カラダがあったらなあ~」
とはいわない。なぜか。あたり前だ。カラダはすでにここにあるからだ。

けれども、
「あ~、やせてたらなあ~」
という。なぜか。やせてない、とおもっているからだ。

「あ~、お金がもっとあったらなあ~」
という。なぜか。お金がない、とおもっているからだ。

「お金があるなあ~」
という人はいない。
なぜか。
お金がある人が、「ある」とは、いちいちいわないからだ。

だが、お金をとられるかもしれないと思う人はやっぱり悩む。どろぼうにはいられないためにはどーするか、だまされないよーにするにはどーするか。

心というか、頭というか、考えは、「(お金が)あること」にはむかわず、「(取られ)ないこと」に向かう。

心は、「ない」「ない「ない」といいつづける。すると量子力学でいくと、「ない」ことが現象化される。

「ない」→「ないことを制作する」
「ない」→「ないことを創造する」
「ない」→「ないことを作り上げる」

あははっ。これってどーよ。
ないことを前提にすれば、必ず「これは問題だ。ナントカせねば」と解決策を練る。そこで心はアーダ、コーダと考えつづける。

しかし頭で考えつくものは、すでに知られているものからしか引っ張って来れない。君の頭のパターンはすでに出尽くしているのだよ、ワトソン君。

しかも「ない」が前提だから、現象はひたすら「ない」ことを作りあげ続けてくれる。それを目の当たりにして、
「いかん!これではいかん!なんとかせねば!あーだ、こーだ。。。」
というドラマが、朝の連続テレビ小説のよーに延々と続く。

だ、か、ら、
無心になれとか、
無我の境地とか、
考えるな!感じろ!とか、
手放せとか、
サレンダーとか、
今に生きろ!とかいうんだあ~。


それ、やっててもきりないよ。
それ、やってても解決なんかしないよ。
それ、やってても苦しいだけだよ。
って、いう意味だったんだな。



考えて出た答えはたいてい消極的なものになる。
へとへとになって、「もう、だめ。。」って、ちからぬけたとき、今までとぜんぜんちがうアイディアがふと浮かぶ。
その瞬間「あ。。。。?」とおもう。

でもそれは今まで考えたこともないアイディアなので、すぐ、
「それって、こわい。。。」とおもうだろう。未知なのだ。未知だからこわいのだ。
しかしその未知は、あなたをいつも回っているサイクルから脱出させるカギになっている。


道はいくらでも四方八方に広がっている。
あなたもやまんばも、思考によって同じ道をぐるぐるまわっている。自分の思考のパターンを知り、それを外から見た時、あなたはすでに別の場所に立っていて、いつもとちがう風景がみえている。



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