2013年10月25日金曜日

悪いとこ探しっこ



どこそこの食品会社でバイトの子が悪ふざけをした。どこそこのレストランが産地名を偽装した。どこそこの運送会社が冷蔵ものを常温で仕分けした。どこそこの出版社が読者プレゼントを偽った。

なんということだ!ひどいことをするじゃないか!もってのほかだ!人間としてあるまじき事だ!こんなヤツや会社は許せない!
まっ、そりゃそーなんだけど。

そこの会社の人だけしかわからない内部事情を、「これは間違っている」と正義感を持って告発する。実に素晴らしい行為だ。勇気ある行動だ!!!
まっ、そりゃそーなんだけど。


その悪ふざけのバイトくんのおかげで、その会社は倒産する。
そのバイトくんは今頃どんなおもいなんだろうか。ものすごい自責の念で押しつぶされているんじゃなかろうか。精神に異常を来すんじゃないだろうか。

いーや。それほどまでのひどいことをしたのだ。当然の報いだろうと世間はいう。
だけど報いが大きすぎる。一つの行為で、その人の人生が終わってしまうほどの報いをうける必要があるのか。

一つの悪いところを見つけると、みんなでよってたかって石を投げつける。どんな事であろうと、悪いと判断されたものに、死刑の判決を下すがごとく。

最近の問題定義はあまりにも小さい。。。っていっちゃいけないのか。。。
産地偽装されて死ぬ人がいるかもしれないといわれれば、すべてがいけないことになる。。。

だけどホントにそんなところをつつけば、この世は良くなるのか?


まるでみんなが「悪いこと探し」をしているようにみえる。
悪いことを見つけて改造させれば、いいことしか残らないのでハッピーになれる。とおもいこんでいるかのよう。

だけど実際は、もっと悪いことが見つかり始める。
悪いことなんて、外だけじゃない、自分の中にも山ほどある。それをいちいち引っ張りだして来て、「おれのここが悪い!」といったって、自分ひとりでさえその「悪いとこ」を治せないのに。
それを赤の他人の悪いとこをなおさせられるもんなのか?
せいぜい土下座させて、いい気分になれるぐらいじゃないか。

これじゃいじめと同じだ。
学校でのいじめは、社会全体のいじめと、家庭内のいじめと、すべてリンクしているようにみえる。



0 件のコメント: