サヴァン症候群という人たちがいる。彼らは時々特殊な能力を発揮するという。
たとえば一度ピアノ曲を耳にすると、それをそのまま再現してしまう。そしてその記憶はずっと残る。いつどこで何を聞いたのか、それを演奏したのか、事細かに覚えているのだそうだ。
その人たちが特殊であって、わしら凡人にはできるわけがない。
だははー、だよなー。
しかし「アナスタシア」の本の中に出て来る彼女の能力も同じだった。たった一度聞いた歌を再現して歌っていた。
わしらは、ありえない才能を、「それはサヴァン症候群の人たちだから」ということでくくってしまう。それはひょっとしたら、わしにもできるかも?とはおもわないで、「はいはいはい。彼らは特殊だから」と、それ以上自分に照らし合わせて考えない。
それは「自分にはできない」と思っているから、できないんだったりして。
アナスタシアは、食べ物は指をぱちんと鳴らせばリスがもってきてくれると信じているから、リスがもってきてくれる。
アナスタシアは、一度聞いたら覚えている、と思っているから覚えている。
アナスタシアは、オオカミと遊べるっておもってるから、遊べる。
アナスタシアは、遠くにいる人の行動やおもっていることを見れるとおもっているから、見れる。
彼女はサヴァン症候群ではないにもかかわらず。
するとこー言うんだ。
「アナスタシアは実在する人物ではない。あれは作り話だ」
それは「それはサヴァン症候群のひとだから」と、くくることと同じように。
だけどホントはそうなったらうれしい。そんな世界があったらどんだけたのしいか!
サヴァン症候群の人々と、アナスタシアの共通点はいったいなんだろう。
アナスタシアは、わしらのようないわゆる「常識」が入ってない。
アナスタシアの親と、わしらの親は、その教えたことがずいぶんとちがっていたようだ。
人はうまれてまもなく親に、
「この世はこーゆーもんだ。人はこーゆーもんだ」
と教えられる。
この影響は、実は強烈な作用がある。わしらはこの最初のインプットに気づく必要がある。
卑近な例でもーしわけないが、最近親の心理構造が、そのまんまやまんばのそれとまったくウリふたつだったことに気がついて愕然とした。どこで怖がるのか、どのポイントで心配するのか、などまったく同じだったのだ。
いったいどこが自分のオリジナルやねん!というくらい、同じ反応して右往左往している。。。
ためしに親の様子をじーっと観察してみるといい。
何が好きで何が嫌いか。
何がだいじで何がどーでもいいことか。
何にいつも怒っているか。
不安がっている材料は何か。
自分じゃないので、そうは感情的にならずに見れるはず。ひとごとのよーに薄情に見てみよう(笑)。
共通点はないかい?はたまたその親に抵抗するがごとく、反発的なもんはないかい?
いづれにせよ、大いに親の影響下にあることはまちがいない。自分が見えてくることうけあい。
その影響下において、人は苦労して食べ物をとって来るもんだと教えられれば、それはそーゆーもんだとおもう。人はゆびぱっちんすれば、リスがナッツをもってきてくれるといえば、そーゆーもんだとおもう。
たんにこれだけだったとしたら。。。。。?
サヴァン症候群の人々は、何かの理由で親の影響や「教え」がわしらのよーにバッチシおもいっきりインプットされずに育ち、人間がもっているもともとの能力そのままを表現しているだけだったとしたら。。。?
じゃあ、わしらはそのインプットを「解除」するだけでよかったりして。。。
えええ〜〜〜〜っ、ひえ~~~っ。
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