2011年5月12日木曜日

いいことしたい!




どうも今日本中に、いいことしなきゃブームがはびこっているようである。
ひねくれ者のやまんばは、いちいち斜に構えてみてしまうところがあるがよ。けんど言いたいから言うぜよ。


ついに恐れていたツアーをテレビで見た。バスで被災地まで出かけていって、ちょこっとボランティアをやり、その足で温泉宿に泊まる。そして次の日に被災地の観光名物をしこたま買い、またバスに乗って帰るというツアーである。

ボランティアというと身構えてしまうが、ちょこっとボランティアなら出来るし、しかも温泉宿泊まっておいしいものも食べられる。そして次の日は買い物をして現地にお金を落としていく。これほど「いいことしなきゃ」を触発させてくれるものはない。

テレビで見る限り、腐敗したさんまを運ぶという(しかもたいした量ではない)1時間半~2時間で終了するボランティアだけのようだった。(ツアー客は41人もいたのだが)ツアー客はその汚れた身体を温泉宿で落とす。さっぱりした所でおいしい料理にありつく。同じボランティアをした仲間と言う意識で盛り上がる。温泉宿としては、客足がへった所に団体でやって来る客はとてもありがたい。そして次の日は、お土産をたんと買いまくり、現地にお金を落としていく。なんと素晴らしい企画なのだ。

ちょこっとボランティアをして、いいことしちゃった気分になって、一仕事のあとは温泉!おいしい料理!そして最後の閉めは、金を落としていいことをする!
いいことしまくりなのだ。「アタシっていい人~」と、自分をほめてあげられる。


だが、もし私が被災地の住人なら
「ふざけるな、おんしゃあ~~~っ!おまえら、こんでいい」って気分だな。

なんともはや、被災地を外から見た人の都合のいいツアーなのだ。そのうちこんな主旨のツアーが出てくるだろうなとは思っていたが、あまりにもあからさまなツアーにあぜんとする。しかしこのツアー、要望が多いので、これからもやるという。ああ。。。

これは被災した人の心をなんとも感じていない人のすることだ。その中心にある思いは「なんかいいことしたい」であり、いいことしている自分をほめてもらいたいのだ。ようするに、自分のことしか考えていないともいえる。
ツアー会社はそのへんの客の心理状況をよく見抜いている。「なんかいいことしたい意識」をくすぐるのだ。これは「なんか楽しいことしたい」と言うものとほとんど変わらない。ディズニーランドに行く代わりに、被災地に行っているようなもんだ。おまけに金を落としてやっているという上からの目線。しかもそれに気がついていない。

ディズニーランドにいくのは、楽しいからやっているという正直な意識の前提があるからいい。しかしこのボランティアは、いいことしているというオブラートに包まれて、肝心の本人の正直な意識を見えなくする。


今、日本中に「なんかいいことしなきゃ」と言う思いが広がっている。それは大切なことだ。しかし、そのいいことは本当に被災地の人のことを考え、吟味して行なうことであり、人を助けにいくということは、どんなに真剣で命がけのことかを肝に銘じた上でやることだとおもう。その覚悟がこのツアーにはみじんも感じられない。
現地の人は「ええ、とても助かります」とニコニコと言う。本心はどうかはわからない。


人はほめられたがっている。
それはこの世にはびこった罪悪感であり、自己嫌悪であり、自己不信からくる。自分はダメなんじゃないか、自分がこの世にいてもいいのだろうか。。。そんな思いが根底に大きく横たわっている。それを払拭してもらえるのは、何よりも人にほめられることである。ほめられると、自分はここにいていいんだ、自分であっていいんだという気持ちになれる。それを実感させてくれることは、何よりも「いいことをすること」なのだ。

けれども、それは本当に相手を思いやってのことか?
いいことをして、いい気分になる。すなわち、自分にとってのいいことをしている事にならないだろうか。単なる自己満足になってしまわないだろうか。
「いいことをする」ことは、とても難しいことなのだ。

今どっちを向いても、とにかくなんでもかんでも、いいことをすることがいいことだというムードがある。あまりにも単純に断定してしまっている。やまんばが被災者だったら、こんなことされたくないなあと思うシーンもテレビで見かける。

いいことをする前に、
「これは本当に相手にとって救いになるのだろうか?単なる自分の自己満足ではなく。。。」
ということをまじめに考えた行いなら、それは本当に素晴らしい行為なのだと思う。

かくいうやまんばもほめられたい。だからせっせとパンを作り、できそこないの野菜をもって、近所の友だちにむりやり押し付けて来るのだ。しかしこれでもやまんばは、自分が「これは単なる自分の自己満足である」という自覚をはっきり持っている。(自覚してたら、なんでもええんかい!)

今の時代は、ほんとにみんな寂しいんだなあ。。。


絵:メディアファクトリー新書「こんなに違う!世界の性教育」カバーイラスト

2 件のコメント:

田中敬三 さんのコメント...

つくしさん、こんにちは。

わたしは、「本当に善いこと」というのは、ないと思います。なので、「○○は本当に善いことではない!」という批判は意味がないと、わたしは思っています。
コミュニティが機能しているところでは、人びとの間に「当然やったほうがいいこと」があって、みんなで、当たり前に、それをしているのだと思います。人と違って、自分だけ善く見られようとするのは、一種の権謀術数で、その一つのプロトタイプは、イエス(キリスト)だと、わたしは思っています。

つくし さんのコメント...

私もそう思います。
いいことと言うのはその時代時代によって大きく変化する。そのぐらい曖昧なものだと思っています。
しかしムードがある一方方向に向いている時、一人ぐらいあまのじゃくなやつがいてもいても、許してやってくれませんか。