2011年5月7日土曜日

失敗することに意義がある




私らの人生の中で、不幸の一つは、失敗しちゃいけない、と思っている事だ。失敗する事は悪で、そんなことする人はハズカシーし、バカだし、空気読めないってことだし、「それって、どうよ」だし、ニンゲンとしてサイテー、と思い込んでいる。

ところが、そう思っているのは、やっちまった本人だけで、まわりは、「まあ、しゃあないか」だし、「あるある」だったりするし、あげくに、「え?なんか失敗してたの?」なんて言われて、なんてことはない、本人だけがイジイジウジウジ考えているだけだったりする。


しかしだな。人生の学びは、失敗から始まるのだ!
失敗することは、「あれ?」と自分の行為を気付かせるのだ。失敗しないでどんどん進んでいくと、その人はちっとも学ばないのだ。

パン焼いていて、一つだけおかしな形のものが生まれる。
「なんで?」とおもう。「あはは、失敗しちゃった」で、わらってごまかすことも出来るが、じーっとそれについて考えると、「あ」と気がつく。今まで気がつかなかったものに気がつく。これが失敗の醍醐味だ。(たとえがちっこすぎる)

だが今の文化によると、失敗しちゃいけないムードが漂っているので、なかなか失敗した事を直視できない。
「あああ~~またやっちゃった。このあいだも同じ事でやっちゃった。ああ、バカバカバカ~ん。。」と、なる(だけである)。

要するに、これは「失敗した」事だけに心がとらわれていて、肝心の「なんで失敗したのか?」に向かっていない。なぜかというと、「失敗しちゃいけない」文化だからだ。

じつは、失敗を直視できないのは、自分の姿を見たくないのだ。明らかに変な事をしてしまった自分の、その姿をもう一度記憶に蘇らせる事のつらさ。そしてそれを吟味し、どこがどのように間違っていたのかを探る事のおそろしさ。この恐怖が、失敗した内容と向き合えない理由だ。
なので「あ〜やんなっちゃった。あ〜ああ、驚いた」だけですましちゃうのだ。これじゃいつまでたってもちっとも本筋に食い込めない。


「ああ、やっちゃっった。アタシってばか!」と言い続けていると、その先に三つの道がある。

その1:「バカバカ」と言い続ける事に快感をもよおし、その中にいつまでもひたり続ける自己憐憫への道。

その2:「バカバカ」と言い続けているのがそのうちつらくなって、失敗した理由をさがし始める失敗正当化への道。そうするとたいてい、その失敗を気付かせてくれた相手への非難が始まる。「何よ。アタシだって好きでこんなんじゃないわよ!」と開き直る道。

その3:「バカバカ」と言い続けるのに飽きて、他に意識がいく。おまんじゅうをたべて、ほっこりしたりする。

かくして失敗したことは、意味をなさなくなる。


これはとてつもなく超個人的な問題である。セーフがシステムを作り替える次元ではない。とてつもなく大きな人類の、超個人的大問題なのである!!

ひとまず自分の失敗を許そう。知らなかったのだ。しゃあないのだ。んで、ゆっくりと、自分がやった行為を振り返ってみよう。だけど思い出そうとした瞬間、「やばい!」と感情が走る。ほっぽっとこう。そんな感情は無視する。もしくはウチュー人が地球にやって来て、何かやっていると考えてみてもいい。そうすると感情的にならず、「あ、あんな事してる。アホやなあ」と人ごとになれるやも知れぬ。ようは、自分の行なった行為を客観的にみる習慣をつけるだけの事だ。主観でみるから感情が動く。非難ゴーゴーになる。。。非難しない!

世の中のいろんな犯罪や精神の病いは、こういう自己非難や自己嫌悪や自分を深く罰する感情が、ことを肥大化させて起るのではないかとフんでいる。すべての事の起こりは、たわいもないすれ違いだったりするのではないか。この世の大きな問題は、それぞれが深く傷ついた心が出発点になっている。それをいやすのは薬でもなく、宗教でもなく、セミナーでもなく、壺でもない。誰でもない、自分自身なのだ。ぐちゃぐちゃに絡み合った糸をほぐすのは、じっくりと自分をみる静かな時間なのだ。私たちの文化にはそれがない。(かつてあったと思う)

地球に来たウチュー人は、自己流でなんかやっている。じーっとその行為をただ見つめる。何の感情も入れずに見続ける。すると周りの人や状況も見えてくる。立体的にみえはじめる。ああ、その方向は違うのに。なんて言ってる自分がいたりする。そのとき、ハッと何かに気がつく。あ、私が足りなかったのはこれだったんだ。。。

宇宙の英知はそんなものをちゃんとプレゼントしてくれる。私たちに必要なものは、静かな時間だ。誰も非難しない、誰を正当化もしない。ただ事実をありのままにみることだけがすべてなのだ。

そのためには失敗する事に意義がある。失敗はすばらしいことなのだ。


絵:メディアファクトリー新書「2100年、人口3分の1の日本」
  おっかねえタイトルですが、内容は真面目で前向きですよ!

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

失敗ってしたくはないけれど、必要ですよね。
クヨクヨし過ぎちゃよくないかもしれない
けれど、失敗をないことにしたり、いいや
いいやにしちゃうよりまだまし。
それだと進歩がないからねぇ。

つくし さんのコメント...

「失敗したくないけど」って書いてある。
その言葉の中に、失敗しちゃいけないと思っている。
まずはそのことに気がつくことなのだ。

失敗しちゃいけないと思うな、ということではないよ。
その言葉の中に自分への非難がある。自分に向かって非難をしているということに、まず気がつくことなんだよ。