2011年3月31日木曜日

こだまでしょうか




「西へ逃げろ!」といえば、
「そうだ!西に逃げるんだ!」といい、
「オレは逃げない」といえば、
「ああ、オレも逃げない」という。

「東北の野菜は放射能がついてるから食うな!」といえば、
「ああ、危ないから食うな!」といい、
「東北を盛り上げるために東北の野菜を食うんだ!」といえば、
「おう!東北の野菜を食うんだ!」という。

「ニッポンは強い国!負けるな!」といえば、
「おう!ニッポンは強い国!負けるな!」という。

でもちょっとつらくなって、
「でもやっぱりこわいよね」というと、
「うん。やっぱりこわいよね」
という。

こだまでしょうか。
いえ、誰でも。




こだまは、枝野だけじゃない。
みんなそうなのだ。

テレビやネットがああ言った、こう言ったといって人々は翻弄される。ほんの10分前に言ってた事と正反対の事を言う。なぜか。テレビが言ったからだ。ネットにそう書いてあったからだ。

ほんとにそれでいいんだろうか。あっちだー、こっちだーといって、その都度方向転換をする自分は何なのだ。そんな自分を見つめるべきなのではないか。今こそ情報に振り回されている自分を見る絶好のチャンスなんじゃないだろうか。教えられて来た事を徹底的に疑ういいチャンスだ。ひとつの事に全く正反対の意見がある事に気付こう。そこに真実はない。

私たちは今、恐怖のど真ん中にいる。
その恐怖をなんとか静めたいがために、そして自分の行き場所を見つけるために、ありとあらゆる情報にすがる。それは外に解決法があると信じているからだ。しかしその恐怖を作っている原動力は自分自身なのだ。自分が自分により大きな恐怖をもたらしている。だから誰かがこう言えば、そうだそうだとなり、反対の事を言っても、そうだそうだという。わたしたちはこだまじゃないのだ。

しかしその恐怖のはじまりは、いったいどこからきたのだ?外からじゃないの?外からもらったもので恐怖し、それを解決してもらうために外から解決法を探す。
なんかおかしくないか。

恐怖という種を、心と言う自分の大地に撒いてもらう。しかしそれを大きく育てるのは、自分の心という大地じゃないのか。それを育てるのも、消し去るのも自分しだいじゃないか。
翻弄されているのは情報からではなく、じつは自分の心に翻弄されているのだ。


絵:「モンスター列伝」

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