2009年11月11日水曜日

よげんのショ




ちまたでうわさになっちゅう(?)マヤカレンダーっちゅうもんをちっくとかんがえてみるきに(何でいきなり高知弁?)。

それによると、なんでも2012年の12月21日あたりに人類が滅亡するとか、いやいや、そんな悲劇的なものではなく、その日を境に今の人類のものの考え方ががらりと変わり、戦争やいかがわしいものがなくなり、パラダイスがやって来るとかいわれている。

わたしも退屈な日々を、このような楽しげな話で、気を紛らわせちゃったりなんかしていたが、それもあきてきてしまった。

どうも黙示録や終末説は、人類始まって以来、何十個何百個とあったらしいのだ。わたしもノストラダムスの予言にもハマってしまったタイプなので、このマヤカレンダーは、あの中学生だった頃のコーフンを思い出させてくれはした。で、結局大王は空からふってこなかった。

今回がちょっと違うのは、いつも滅亡だの終わりだのと言って人々を恐怖におとしいれる「予言の書」が、今度は新しく生まれ変わるのだとか、パラダイスの始まりなのだという、ポジティブな予言の書にすり替わっていることなのだ。
でも結局のところ、今の生活を何かしら劇的に変えてしまいたいという精神構造から来ているようにおもえる。つまり退屈な日常からの脱出願望だ。

よく考えたら、人類の考え方が一辺にがらりと変わるくらいの簡単なもんだったら、一人一人がこんなに人生に苦悩しているのは、どういう意味があるのだ?そんなふうにころっと全員の意識のスイッチが切り替わっちゃうんなら、さっさとやってくれってなもんだ。
ある日突然、まわりの空気が変化して、光が見え、すべてが美しく、まわりの人々の心が綺麗になり、自分の心も澄んでいく....んなら、今までの苦労はなんなのよ。
そういうと、いやいやウチューのサイクルが変わるのだよ、つくしちゃん、なんて言われても説得力がないっちゅんじゃ。そもそも「宇宙のサイクル」という一本の線上に置かれた時間概念、過去、現代、未来...などという時間という概念は、宇宙にはないはずだ。だからサイクルが変わるという考えこそが、地球に住んでいる人類が勝手に作り上げた概念にすぎない。だからカレンダーという考え方も、この人類のものだけのことだ。いや、この人類というよりは、今この次元に住んでいる私たちだけのものだ。(畳2畳分くらいしかないかも....)

時間と空間があって、物質が存在し、自分と他人が別れていて、それぞれの心のうちは、他人には聞こえない...などという次元。
それは5感というちっこい5つの穴から世界を見ているだけのわしらの世界。ホントは後ろを振り返れば、そこが大宇宙そのもので、すべてがわかっている世界なのかもしれないのに。「よげんのショ」と書かれた小さな小さなナノレベルの穴の中に目を突っ込んで、そこから「未来はどこだ?どんな未来が待っている?」と覗いているだけなのかもしれん。

私は何かが劇的に全員を連れてどこかに運んでくれるとは思えない。自分のおとしまえは自分でつけなきゃいけないのだ。この退屈な世界から脱出することは、予言のショがやってくれるのでも、ある日ウチュー人がやってきて、額に指を当ててビビーンときて、人生が変わっちゃうわけでもないのだ(つまんないことに)。パラダイスは自分で持ってくるしかないのだ。
でもそれは必死になって生きることでも努力することでもないようだ。ただその5つの穴しかないと思い込んでいることからスッと離れることなのだ。5つの穴が開いたお面から覗くことをやめることなのだ。
それはこれが自分だと思い込んでいる仮面をはずすことなのかもね。
それは、すんごく簡単なことなのかもしれない。ただ外すのがこわいだけだ。

なんか21世紀少年みたいになってきたなあ....。


絵:「ジュリアスシーザー」ハーバードビジネスレビュー掲載

4 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

そういえば、昔、星新一のショートショートで、<発明したタイムマシンを使って過去と未来の姿を見せる。って偽って、過去の場面には、恐竜系の。未来の様子には終末系のSFの一場面、を見せて大儲けした詐欺師たちが、「そういえば近い将来終末を迎える事を信じてる連中が多い世界。ってどうなるのかな?」って独語して終わる>って言うのがありましたが、ノスちゃんの本(五島勉版)を読んだときには、ややマジに「40歳くらいで死んじゃうんだったら・・・」って思ったものでした・・・。orz
思えばアホな子供でした。

つくし さんのコメント...

星新一さんの本はすごいよね。するどいぜ。
わたしも40歳くらいで死んじゃうんだったら。。。といろいろ考えました。
私もアホな子です。
でもさー、それを単なるおとぎ話ってとらえられる子って、よっぽど頭いい子なんじゃない?さめているっちゅーか。

そんなアホな子供たちのために、今でも予言の書があるんだな。
今は映画という形で、日常を忘れさせてくれる。
もうすぐ『2012年』っちゅう映画がはじまるね。実際、ああいうシーンにめぐりあっちゃったら、ああいう風に鳥瞰図的に崩壊する世界は見れないから、そういう意味ではおもしろいよね。

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

ひょっとして,皆早く終末迎えて楽になりたがってんじゃないの?
キリスト教なんかもなんか世の中の終わりを前提にしてるとこないですか?
西暦年々って、例えば「今年は西暦276649027354749年かぁ。思えば276649027354739年はいい年だったなぁ」ってあり得ない!彼らどこかでリセットされると思ってんだよ、きっと。

つくし さんのコメント...

そーゆーこっちゃ。
みんないっさんになくなっちまえ〜〜〜ってな思いが「予言のショ」をいつまでも存在させている所以なのよねん。

そういえば、そんなに長い西暦あったら、めんどうだよねえ。このままこの世が平和に続いたら、そういう西暦になるのかもね。いや、ひょっとしたら、ホントはそのくらいの西暦が2009年の前についているのかも!今年はホントは2766490273547492009年とか。
で、面倒なので、最初のぶぶんをはぶいてあるのかもよ〜〜〜。