2009年10月16日金曜日

子供をなめたらいかんぜよ




おとつい、線路わきの道を歩いていると、前におばあちゃんと孫の姿があった。4、5才くらいのかわいい女の子は、おばあちゃんが手を引っぱる方向にガンとしていこうとしない。
「いやだ。こわい。電車、こわい。いやだ。こわい」
そういって、反対方向におばあちゃんを引っぱっていた。おばあちゃんは困り果てていた。
私が近づくと
「この子、行ってくれないんですよ〜」となぜか私に助けを求める。
「どうしたの?何がこわいの?電車?だいじょうぶだよ。電車が通っていないところを、歩くんだから」
私がそういうと、彼女は一瞬考えた。そしてすんなりとおばあちゃんのいく方向にすたすたと歩きはじめた。私たちは同じ方向にいっしょに歩きはじめた。
「すいません〜、たすかりました。ありがとうございました〜」ホッとした顔のおばあちゃん。その先には踏切がある。おそらくそこを彼女は怖がっていたのだ。踏切を渡りきったとたん、前を歩いていた女の子は私を振り返った。
「よくできたね。こわくなかったね」
そういうと、女の子はこくんとうなずいた。

ただ説明が足りなかっただけだ。なぜそこを通るのか、どうしてこわくないのか、大人はちゃんと説明をしなければいけない。子供はその理由を待っている。ただやみくもに、いかなきゃいけないから、行くのよ、とか、ダメなものはダメと力で押し込んでも無駄なのだ。そのムリヤリがこれからのその子供の性格を作っていくのだ。「世の中、わけもわからずやらなきゃいけないことがある」と。ほんとうは子供は言えばちゃんと理解できるのだ。

最近の絵本を見て悲しくなるのは、大人は子供をなめている。大人のように理解できないという前提に立って絵本を作る。いないいないばあ〜と絵本でやってみたりする。自分で手でやれよ!とおもう。その本がうれるとバカみたいに同じ手の本ばかりを出す。ようは、子供向けに作ってはいない。お母さんに向けて作っているのだ。(そりゃそうだ。買ってくれるのはお母さんだからなあ〜)だが、そのお母さんは、子供がどこまで感受性が強いか理解しているのだろうか。

私の母は、天然ボケだけど、そこのところがわかっていたようだ。とにかく何でも説明をしてくれた。風邪を引いてにがい薬を飲まなきゃいけない時でも
「このお薬がお腹の中で悪いバイ菌をやっつけてくれるのよ」という。あとなんだっけ?なんだか忘れたけど、うるさいくらい説明をしてくれた。だからただわけもわからずどこかに連れて行かれたり、やりたくもないことをやらされたりしても、これはこう言う理由だからやるべきことなんだなと我慢もしたし、努力もした。

私は1才半のころから、母の相談役になっていたらしい。おぼえていないが、母が「こんなことあってねえ、どうしたらいい?」ときくと、1才半の私は「お母さん、それはこうした方がいいよ」と、即答してくれたそうな。母はいつも私が言うアドバイスのままに行動をしたと言う。そんな年でしゃべられるのか?と思うが、ちゃんとしゃべっていたらしい。だからことあるごとに母は他人に「子供は1才半から相談役!」といっていたそうだ。

子供は最初っから何かをすでに知っている。しかしそれを大人が子供は何もしらないからと思って対応すればするほどアホになっていくのではないか?冒頭のおばあちゃんは、「いいから早く来なさい!」と言っていただけなのだろう。だがそのまま引きずられて線路を越えさせたら、その子はもっと大きなトラウマを抱えてしまうことになる。この世には「こわい線路」があるだけでなく「こわい線路をムリヤリ渡らせられる」という恐怖がくっついてくるのだ。そうすれば、これからどんな感覚を持ちそなえていくのか、考えただけでちょっと切なくなる。


私の3冊の絵本「ロードムービー」「センチメンタルジャーニー」「鈴木さんの場合」はそんな子供の感覚を発露させたい思いで作られた。この絵本には言葉がない。物語は語られない。これはあなたの好きなようにこの絵本を「読んで」くださいという主旨からきている。これは相当の挑戦的で実験的な絵本の企画だった。当時、担当の編集者の人が、よくオッケーを出版社にもらったものだと感謝している。今の保守的な時代、こんな本はもう出ないだろう。
この3冊は意図的に3つの物語が交差する形をとっている。しかしそれは私自身の考えのものだ。その絵本を手に取った人が、その人自身の物語を作ってほしいのだ。主役は本を手に取った人。だからあえて説明は入れなかった。
こんな実験的な絵本だったが、じっさい、孫が自分でお話を考えて私に読んでくれましたという読者からのはがきももらった。そういう話を聞くとがぜんうれしくなる。

子供は脅威に満ちている。何でも理解する。大人が見ていない世界を感じて見ている。
そんな子供時代の感覚をそのまま生かして大きくひろげていくと、きっとこれからの世の中、すべて変わってくんじゃないかと思う。そう思うと、自分がやっている仕事の重さを感じる。そしてワクワクする。
子供をなめたらいかんぜよ〜。


絵:言葉のない絵本シリーズ「ロードムービー」表紙

4 件のコメント:

まいうぅーパパ さんのコメント...

子育てしていて、ぐうの音も出なかった一言・・・
「うちの娘”かくかくしかじかでxxxしちゃって”困ってます・・」って冗談半分で愚痴ったら、「でもあなたが、そう育てたんでしょ?子供を責めてはいけない。自分自身を責めて下さいね。」
そりゃそーだ・・・。

つくし さんのコメント...

その人もまた、きついいい方の人だねえ。

「責める」ってあんまりいい言葉じゃないね。どっちにしたって、前向きになんないね。

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

う~ん。
セリフはきっついけど、言い方は柔らかかったし、反論できないからねぇ。
「そいうことをした子供をまず褒めなさい、
そう育てた自分を受け入れなさい。」てな感じかなぁ。

つくし さんのコメント...

パパさんはそのままでダイジョーブ。
ちょっぴし、たよんないところが、これまたいいのよ。美形だし。
そーゆー、自分を受け入れなさいって言ってんのよ、その人。