2009年2月11日水曜日
火の玉
「むかしはよく火の玉を見たもんだ。
最近はめっきり見なくなったなあ」
近所に住むおじちゃんが畑の中のお墓の前で話してくれた。
「オレが子供だった頃なんか、ここいらは夜んなると真っ暗で、今のように明るくはなかった。今はあんまり明るいもんだから、火の玉も恥ずかしがって出てこねえんじゃねえか?きっと今ごろはとなりの県の山梨の山ん中あたりで、うろうろしてるにちがいねえ」と、にやっと笑った。
今のあいそのない科学的な根拠としては、リンが燃え上がって火の玉になるらしい。ということは、土葬でなくなった現代なので火の玉がいなくなったのか?とはいえ、だからいなくなったと言っちゃあ、味気ない。やっぱ「明るすぎて、恥ずかしがって出てこなくなった」方が、情緒があっていい。
でも今だに火の玉が.....という話は尽きない。やっぱりはっきりした事はわからない。そういうところが不可思議で楽しいのだ。
火の玉なんてへのカッパなそのおじちゃんでさえもビックリしたことがある。
まだ彼が若い頃、夜縁側でぼけーっとしてたら、庭先にでっかい火の玉を見たんだそうな。7、80センチはあろうかというでっかい火の玉が、ぐるぐる回転しながら、うねうねとゆらゆらと、ゆっくりとおじちゃんの目の前を東に向って飛んでいったんだと。その光は赤や黄色やオレンジがいっぱい入り交じった、それはそれはきれいな色をしていたそうだ。
また、彼のお父さんが見たのは「金玉(いや、その、アレではなく、『カネダマ』と呼ぶそうな)」。
今から80年ぐらい前のこと、目の前の道をゴロゴロところがりながら走る火の玉を見ている。大きさ120センチほどのそれは、円盤形をしていて、太陽のようなものすごい光を放っていた。やはりいろいろな色が混ざり込んだ不思議な色をしていたようだ。その金玉(だから、カネダマ!)は、道沿いにものすごいスピードで回転しながら坂道をころがり、ある地点でカクッと90度方向転換をし、ある家の中にすぽっと入っていってしまったそうな。
さてその金玉の入った家は、その時からどんどんお金が転がり込んだ。あれよあれよというまに大金持ちになって、大きな蔵が建った。今でもその家の庭にはその時の蔵がある。
うほっ。一体なんなのだ?その金玉は。
我が家にも飛び込んで来てほしいもんである。
うちのダンナはいう。
「昔の人たちは光に対する感度が良かったんじゃないかな?微妙な光さえも感知する能力が備わっていた。たぶん、今の人たちはこの人工的な明るさに目が慣れてしまって、昔の人たちが見ていた光を感知できなくなったのでは?」
なるほど。確かに昔の夜の光と言えば、行灯やろうそく。一度試した事があるが、行灯なんてものすごい暗い。60ワットの電球の10分の1ほどしかない。そんな生活に、いきなり100ワットの光が来たなら、まわりは眩しくて見えなくなるはずだ。
ということは、目の前に火の玉が飛んでも、ちっとも気がつかない現代人なのかもしれんなあ。
案外、今でもいっぱい飛んでいたりして....。
現代人は、夜の暗がりを忘れて、昔の人たちが知っていた不思議さやおもしろさを味わい損ねているかもしれないな。
ここは一つ、ふっと灯りを消して、夜の暗がりを楽しんでみる事にしますか。
そのうち金玉にも会えるかもしれないし。(だから、カネダマ)
絵:「かさ地蔵」COOPけんぽ表紙
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2 件のコメント:
こんにちわ、はじめまして。
いつも拝見しています。
『火の玉』を読んでいて、
谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を思い出しました。
細部はうろ覚えですが・・・、
読み始めてしばらくして、彼の言っているのが『電灯以前のランプの暗さ』ではなく、『ランプ以前の行灯・蝋燭の生活』のことだと気づいたときのショックは、今でもありありと覚えています。
人間は、光や音の強い刺激にはどうしようもなく惹かれつつ、同時にすぐ慣れて麻痺して耳をを塞いでしまうもの。そして、逆に聞き取れないほどの物音には耳をそばだて、感覚を研ぎ澄まさずにはいられないもので・・・
すみません、全然まとまらないのに色々考え始めてしまって、書かずにいられませんでした(反省。
気が付けば、自分の身の回りがあまりにも、ちょっと強すぎる刺激だらけだ、と思って。
メールをありがとうございます。
ひょえ〜、なんだかむずかしい世界をお読みのようですね。こんな所に来ていただき恐縮いたします。
本当に、人は刺激にヨワイのです。NYにいたときも、ものすごい騒音とけばけばしい色の洪水の中で暮らしていたようなもんです。
それにくらべて日本は、まだ微妙なものを知っている気がします。
あなたのように強すぎる刺激に気がつくくらいですから。
ありがとうございました。
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