2025年9月21日日曜日

量子力学とコース

 

ミステリー表紙イラスト

ちっちゃい時、この世界は私が見るから現れると思ってた。

だから私が見ていない(見れてない)ところは真っ暗で何もないと。


それでも自分の目の前に立っている母が、

本当は後ろが何もないハリボテだと思うのはなんだか悲しかったので、

彼女の後ろに手を回して割烹着の結び紐を触って

「うんあるある。かーちゃんはいるんだ」と確認していた。


大人になってこれが量子力学だと知ったが、

そこから先にはなかなか進めなかった。

なぜなら奇跡のコースが言うにはこの世界はない!からだ。

量子力学は物理学。物質があると言う前提である。


ところがどっこい。

先日量子力学の話をしている動画を見て「あ」と思った。


私が見るから世界は現れる。


量子力学はそれを「物質」と言い、

コースはそれを「幻想」と言う。

ただそれだけの違いだったんだと気づいた。


物質はないんでしょ?

世界は幻想なんでしょ?

それだけの違いって何?


ものすごい違いのように見えるけど、

どっちの視点で見るかだけの違いだった。


前者は自我とともに見ている視点。

後者は聖霊とともに見ている視点。


自我にとってはこの世界は実在する物質世界。

聖霊にとっては私の目を通して見えてはいるけれど、

実在しない世界と知っている。


見えているものは、実は自分が見たがっているものだ。

見たがっているものは、深いところで信じているもの。

だからそう簡単に望んだものは作りだせはしない。

だって望むってことは、「ない」って言ってるようなもんだから。

かえって深いところで信じているものが露わになる。


だから見えているものは、どう物質化させるか、ではなく、

どう幻想を現させているのかを知るために量子力学を使う。


波は見ることで粒(物質)になる。

これは、幻想を出現させる方法を説いていたんだ!


誰が見たがっているのか。

誰がこの世界を見ているのか。

そこから始まる。


そいつがいない限り、この世界は存在しない。

つまり私だ。

私がこの世界を作っている。

幻想の宇宙を。

私が見たいものを見ている。

幻想の宇宙で。


自我とくっついた私は、オリジナルな自分を忘れてしまった。

神から離れたらどうなる?

と思いついちゃったことから、ひえーとんでもないこと考えついちゃった!

と、その罪の意識がこの世界を作り出し、その世界に没入している。

全てを分離させる形を作り出した。


そして作り出した張本人なのにそのことを

スッコーンと忘れるという離れ業をやってのけた


のが私(爆)。


だからこそ、コースはこの世界のすべてを忘れなさいというのだ。

この世界で教わったすべてを。


この動画は、どうすれば望むことを

現実化させられるかを話しているけれど、

どうしてこの世界が作られるのかを教えてくれるヒントとなる。


そして潜在意識という名の罪悪感(この世界を作り出すガソリン)を思い出していく。


そのドロドロのガソリンを見つけたら、

聖霊にどんどん持って行ってもらうことにするぜ。










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