昔「アガスティアの葉」というものが世間を賑わせたことがあった。
約5000年前にアガスティアさんという人が書いた予言の書だ。
椰子の葉っぱに一人一人の人生が書かれているという。
昨日そのアガスティアの葉に書かれた自分の人生を見に行くという人物の動画をなんとなく見た。
複雑な質問が何度も交わされ、約20分後その人自身のための葉っぱが出てきた。本人の名前、生年月日、両親の名前、奥さんの名前、子供の数まで当たっている。まさにドンピシャ。
彼の人生、これからの人生、そして彼の前世の物語が語られる。
そういうのを見て、やっぱ人生って決まってるんかもな~~と思う。
私はアガスティアの葉を求めてインドにまで行かない。
だから私の名前などそこにないのだ。
それさえも決まっている。
だが彼の前世の物語、今世の物語を聞いていると、
人ごとだからか、面白くはない。
なんかみんな似たり寄ったりだなと思う。
何歳までに何があって、何歳から何歳までこういうことが起きて、
こうしてこうしてこうなった。
そんな話、どこにでもある。
何一つ特別じゃない。
自分の話じゃないからワクワクしないんかもしれない。
自分のこととなったらワクワクするのかもしれない。
ちょうど香港さんが今日のブログで自身の「生命之書」というものをもらった話を書いていた。
ほとんど当たっているという。やっぱシナリオってあるんだ。
昨日の今日だからシンクロしててびっくりした。
あ、これもシナリオか(笑)。
人生物語って、その人自身になりきるとハラハラドキドキなんだけど、
側から見ると大した違いはない。生まれては死ぬを繰り返すだけだもの。
自分と他人がいて、戦ったり憎んだり、
時々和解して、幸せな気分になって、
そして死んでいくことに変わりはない。
この世自体が牢獄だ。
ジッドウ・クリシュナムルティはこんな風に言っていた。
「たとえ楽しいことがあったとしても、
その内容たるやせいぜい牢獄の壁をピンク色に塗るようなものだ。
所詮牢獄は牢獄のままだ」と。
私は牢獄の壁をピンクに塗るだけの人生にしたくはない。
この牢獄から出たいのだ。
私はなんとなくたくさんの人生を繰り返してきたように思う。
自称2500回輪廻の私だ(笑)。
そうはいっても、この先の人生も決まっているのだろう。
非二元の言葉「起こることが起こっている」
仏教の言葉「縁起」
起こることが起こっているのは、
人、空気、思考、環境、風さえも、縁起によって繋がっていて、
バタフライエフェクトのように必然で物事が起こることを指しているのだろう。
そういう意味ではもう人生は決まっている。
だがそれは結果だ。
繰り返される結果を達観して見ているだけになる。
原因を見る。
なぜそう思ったのか。
なせそんな感情になったのか。
なぜそんな反応をしたのか。
そこには、そうなる原因がある。
非二元も仏教も現象世界に対しての達観を呼び起こす。
煩悩を取れ、考えるな。
だが起こっているのではなく、起こしているのだ。
現象は現れるのではなく、現れさせているのは私たちだ。
それは私たちがそれを「見たい」と思ったからなのだ。
見るから(原因)現れる(結果)。
決して受動ではない。
いつもはそれに対して同じ反応する自分を、
そう反応しない選択もできる。
そこから何かがかすかに変化する。
書かれていたシナリオが、少しづつ消えていくのかもしれない。
アガスティアの葉っぱに書かれた古代タミル文字が、
人知れず消えていくのかも知れない。
私たちはこの残酷な世界に、泣く泣く生まれ落とされた哀れな赤子ではない。
まずはその現象を見る必要はある。
そしてそれは「私が見たいと思って作った」ものなのだという自覚。
敵も貧困も私が見たいと思ったものなのだ。
アガスティアの葉の話まで私が作ったのだ。
心の力はものすごい。
すべてを作り出す。
だが本物ではない。
偽物の世界を作り出した。
これがどんなに強い心の力なのか。
だから私たちは哀れな赤子ではないのだ。
ちょうど今日見たワークブックレッスン31にあった。
「私は自分が見ている世界の被害者ではない」
自我に導かれるままに流されていくと、書かれたシナリオ通りだろう。
いたいけな、か弱い被害者として生きる。
しかし一旦立ち止まって、
「私は以前と同じ反応をしない。私はこの被害者ではない」
と方向を変える選択が、私たちにはある。
能動的に、心の原因に帰っていく。
人生のシナリオを使って、本当の自分を思い出していくのだ。
2 件のコメント:
自他一体と言いながら他人の人生の一大事が茶番劇に見えてしまうことがあります。映画を観ている存在か役者として流れを変えられる者か、1人1宇宙のわたしの世界ではまだ結論が出ていません。つくしさんの文好きだわー
ゆうきさん、下手くそな文を褒めてくれて嬉しいです。ありがとう。
難しいですよね。私もなんとも言えません。書いておきながら(笑)。
きっと変えようとすると苦しいですよね。
変わる時は勝手に変わる。知らないうちに。
そんなもんかもしれません。
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