2025年6月23日月曜日

安らぎを求める

暑い〜。アイスクリーム食いたい〜。illustrated by Tsukushi

 

みんな安らぎを求めている。


それは何かを得ることによって得られるものだと信じている。


お金があれば安らぎが得られる、

毎月決まった収入があれば安らぎが得られる、

あの人が変わってくれれば安らぎが得られる、

もっといい仕事があれば安らぎが得られる、

この痛みさえなくなってくれれば安らぎが得られる、

今アイスクリームが食べられれば安らぎが得られる(それは今の私)、、、


なくすことでも、手に入れることでも、消えてくれることでも、

なんでもいい。

今のこの状況が、何かしらの形で変われば、私は安らぎを得られる。




私もアメリカからの送金がずっと滞っていて、

あのお金さえ入れば私は安らぎを得られると思った。

半年間の格闘の後、確かに送金されたが、安らぎはほんの一瞬だけだった。


でも心のどこかでは知っていた。

入っても一瞬ホッとするだけだよな。


案の定、一瞬ホッとしただけだった(笑)。

そしてまた次のお金にフォーカスする。




私たちは形を求めてさまよう。

あの形、この形、もっといい形。


それは「この世界には私が安らぎを得られるものがある」と信じているからだ。

だがそれは一瞬の安堵で終わっていく。

そしてその求める心は止むことがない。


駄菓子店を別のところに向けると、、、


もとい。

だが、視点を別のところに向けると、

今この瞬間に安らぎがある。


今という瞬間に目を向けると、何の恐れもなく、ただそこに今がある。


と、次の瞬間、声が聞こえる。


「ぼーっとしてる場合か!」


「今この瞬間に動かないでどうする!

今やらないで、いつやるんだ?

お前の未来は今何をやるかで決まってくるんだ!

ぼーっとするな!」


いつやるの?

今でしょ!



その今やることとは、


今この時を味わうことだ。


あしたのジョーの言葉

「明日のためにその1」

ではなく、「今」のために今がある。




自我の声は大きい。

大声で怒鳴ってくる。

何をしてるんだ!動け!何かをやれ!


その声は私の味方。ずっとそうだった。

その声のおかげでここまでこれたから、あなたは私の味方。。。。


じゃねえし!


キリのないラットレースをやらされているだけだった。



あれやれ、これやれ、そうじゃないだろう!ダメじゃないか!

その大声を聞いている、あなたは誰なのだろう。



私がそのことに気がついたのは、もう十数年も前のこと。

私を罵倒する、徹底的に否定するその声、

よく聞くと矛盾だらけのその説教に気がついてからも

その声が正しいと信じて生きてきた。


奇跡のコースを知り、その声の意味を知り始めたが、それでもまだ信じてきた。

今でも本気で全面的に「それは間違っている」とは思えない私がいる。

気がつけばその声に巻き込まれてオロオロしている。


でもこの世界に安らぎを求めることは不可能だとも気づき始めている。





頭に聞こえる、自分を全否定してくる声を聞くと、

世界は私を罪人だと証明してくれる世界だ。


自分が肉体という檻に閉じ込められた罪人で、

時間と空間という監獄の中で、

自分に鞭打って犠牲を払って生きていかねばならないという刑に処している。

そして最後は死という安楽をもらう世界。




それを聞いているのは誰か。

それを見ているのは誰か。

その聞いている存在、

見ている側、

そのものこそが本来の私。



形のあるものにだけフォーカスされていた心を、

形のないものに移行する。


森に入った時、森いっぱいに広がる私の心は何か。

広がるものはなんだろう。



頭に聞こえる大声は「恐れ」を呼び起こす。

森いっぱいに広がる心は「愛」を呼び起こす。


心はどっちに向いている?

どっちにも向くことができる。


向くことができる「私」を知る。









和紙で制作した作品のオンラインショップができました

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2025年6月20日金曜日

庭にホタル

きのう焼きあがった器と和紙の作品

 

蒸し暑い夜、窓を開けるとホタルが飛んでいた。

闇の中をフワンフワンと浮きながら、ホワンホワンと光を放つ。


初めは川の上を飛んでいたが、そのうち庭に上がってきた。

一匹がうちの庭を舞う。そのうちもう一匹、そしてさらに。


三匹のホタルが私の眼の前で踊ってくれた。

ここに来て20年経つが、そんな光景は初めて見た。


今年は多いのかと思いきや、その3、4匹ぐらいしかいない。

その彼らがわざわざうちの庭に集まってくれたのだ。

彼らの光は喜びを誘う。いつまでも見ていた。



湯のみ




「窯から出した気に入らない器はどんどん割りなさい。

そうすれば残った器に価値が出る」

陶芸教室の窯出しの日、88歳の先生は私に言った。


まるで陶芸家に言うみたいだ。

別に陶芸家になりたいわけじゃない。

ただ面白いから習っているだけだ。


だけどさっき割ってみた。なんかスッとした。

絵はかさばらないけど、陶器は存在感がある。

駄作がこの空間にあるのはなんか嫌だ。

ただゴミとして捨てるんじゃなくて、割って消えていくのっていいな。


粘土は焼かないといくらでも再生できる。

しかし1200度の高温で焼くと粘土は石になる。

それは割ることによって、人の痕跡を消していき、

ゆっくりと自然に帰っていくのだろう。



鳥レバーと日本酒をできた器に



和紙の作品と陶芸。どんな関わりがあるんだろうか。

でもきっと関連があるはずだと思っていた。


先日絵を制作している時、その恩恵のひとつに気がついた。

指先の感覚が鋭くなっていたのだ。


老眼であまり見えなくなっていたカッターの先や筆の先。

その先の感覚が指を伝ってこっちに感じる。

いや、指が筆先に届いていたというか。


手回し轆轤を使って作っている時、その指先のわずかな感覚に集中する。

本当にわずかな感覚。


「粘土は記憶する」

「粘土は叩くんじゃない」

「回転させていると、中に入っている土の塊は勝手に上がってくる」


先生の話を聞いていると、粘土を生き物のように言う。

そう言われるとただの土の塊じゃなくなってくる。


回転という対話をしながら、粘土に形を作ってもらう感じ。

無言の会話をしながら作っていく間に、新しい感覚も芽生えてきたんだろうか。



目で見てとらえるものだと思っていたものが、別の目がついていることを知る。

目の見えない人が街を歩くとき、杖の先に目がついているみたいな感覚に近いのだろうか。

杖はその人の身体の一部だ。

指先も道具を通してその目になるのかもしれない。



土、紙、そして釉薬という草木灰。


大地から現れてくるものを使って、人はものを作る。



コーヒーカップ








和紙で制作した作品のオンラインショップができました

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2025年6月15日日曜日

いいじゃん、いいじゃん



このところ、養蜂家のお手伝いをしている内田宇宙人と先日話をした。


その時「世の中の人には自分を否定してしまう人がいる」ことを知った宇宙人だった。


そのことを彼のブログに書いてくれている。

彼自身は自分を否定したことがないようなので(笑)、

自分を否定するとどういうことになるかを説明してくれていた。


『だって、自分が自分を否定したら、全てが敵になってしまいません?』


この言葉が深く心にしみた。


そうだ。。。

自分以外誰が味方になってくれる?

自分が自分を敵にしているのだよ。


否定的な考えが浮かんだら、

すぐさまそうならないように行動するか、

否定されるようなことをしてしまった自分を責めるか、

もしくは否定した考えが現れたことに対して自分を責める。

という延々と自分を責め続け恐れの中で生きる自分を見た。


そんな自分を責めそうになるが、ふと立ち止まる。


自分さえも敵にしてしまう恐れの中でずっと生きてきた私はある意味すごくないか?

嵐のように自分を責めまくる声を聞きながらも、ここまで生きて来れてたんだ。


ここでやっと自分を肯定することができた。


内側の声にムチ打たれながらも64年も生きてこれた自分。

ひょっとしたら強いんじゃね?





『自分だけでも自分の味方になれたら、それだけで世界は変わる気がする』


『自画自賛ですが良いこと書いてあるなって思いました。笑』


彼は周りの人がこの話はくだらないと言っても平気。

自分がやったこと、やろうとしたことに対して認めてあげてほしい。

正しいか間違っているかではなく、

どんな自分であっても自分だけは受け入れてあげる感じですと。


『自分の存在を受け入れるステージはすっごく楽ですよ!笑

だって、そこには楽しいしかないからです。

何かを始めれば「お~、良いんじゃない?」って思うし、

何かを止めれば「お~、それも良いよね!」って考えるし、

再び始めれば「良いじゃん良いじゃん!」って応援したくなるし、

何をやっても何を止めても、そこにあるのは全ての肯定と承認です。』


彼は言葉だけの人ではない。

彼を近くで見ていると、本当に彼の行動、考え方自体がそれで動いている。

その言葉そのままに生きているのだ。

なんだか本当にいつも楽しそう。

で、頼まれたら徹底的にやる。


昨日は顔を三ヶ所ハチに刺されて腫れ上がっているようだが。






友だちと彼のブログをシェアしながら話す。


「仕事なくってもいいじゃん!」

「旦那が仕事やめるって。いいじゃん、いいじゃん!」

「膝が痛い。いいじゃん、いいじゃん!」


だんだんおかしくなって、笑いころげる。

深刻さが抜けてくる。

何をやってもやらなくても、全肯定。

いいじゃん、いいじゃん、それ、めっちゃいいじゃーん!


このムードが大事なんだよなぁ。

それはきっと周りにも、

そしてそれを思う自分の心の中にも広がっていくんだな。



内田くんは、私たちが忘れていた感覚を思い出させてくれる、

地球という星に派遣されてきた存在なのだな。








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